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平成から令和へ(2) 高校野球の時代

4/17(水) 21:24配信

沖縄ニュースQAB

「平成から令和へ」きょうのテーマは「高校野球」です。復帰後、全国に追いつけ、という昭和の時代から平成に入ると瞬く間に全国に轟く強豪に数えられるようになった沖縄の高校野球。その強さの裏にあったもの、そして次の時代に求められる高校野球像とは?

平成の沖縄高校野球の躍進はこのチームから始まった。名将・栽弘義監督率いる沖縄水産。平成元年に入部した絶対的エース・大野倫の力投もあり夏の甲子園2年連続準優勝。新たな時代に沖縄の球児たちが名乗りを上げた瞬間だった。

そして平成11年のセンバツ。ついに紫紺の大優勝旗が沖縄尚学によって初めて沖縄へともたらされる。一方、勝利だけではない沖縄の球児が強烈なインパクトを甲子園に残し始める。夏の甲子園に出場した那覇高校は左のキャッチャーに左のサード、代打の切り札・比嘉の独特の打撃フォームで全国を驚かせる。

さらにその翌年、この年初めて設けられた21世紀枠でセンバツ出場を果たした宜野座。怒涛の快進撃でベスト4。当時の宜野座ナインの「のびのび野球」は甲子園に新たな風を吹かせた。

「本土においつき追い越せ」昭和の時代に多くの県民が抱いていた思いを平成の沖縄の球児たちが体現していく。そしてその思いがついに大きな形となる。島が沸いた興南高校甲子園春夏連覇。試合後、キャプテン我如古はインタビューでこう答えた。

我如古盛次主将「きょうの優勝は沖縄県民みんなで勝ち取った優勝だと思っています」

我喜屋優監督「我如古キャプテンが言っていたように「この勝利は沖縄県民で勝ち取ったものです」本当に待ち遠しかった沖縄県民の期待に応えられたという意味では本当に一緒に喜べたというのは良かったなと思います」

興南を春夏連覇へと導いた我喜屋優監督。この偉業の裏には強い県民の思いがあったことを実感したと言う。

我喜屋優監督「那覇空港に着いても出られないんじゃないかというくらいの何千人ものファンの方々が支えてくれたおじいちゃんもおばあちゃんまで、涙を流しながらその光景を見た時に、おじいちゃんおばあちゃん、勝ちはあなたたちのものだねという感じがしました」

平成の時代、県民を沸かせた沖縄高校野球。その背景には何が。そして今後の課題とは。

沖縄県高野連、高江洲登さん。長年に渡り高校野球のデータを収集し「沖縄高校野球界の生き字引」と言われる人物だ。平成に入り、甲子園での勝率を大きく伸ばした沖縄県勢。高江洲さんはその大きな要因として2つのことを挙げる。

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最終更新:4/17(水) 21:24
沖縄ニュースQAB

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