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セウォル号惨事から5年、安山全域に“悲しみの波”

4/17(水) 11:54配信

ハンギョレ新聞

檀園高校の追悼行事に続き、午後には約5千人の追悼式が行われ 後輩・家族ら「とても会いたい」

 「ここに来ると涙ばかりこぼれて、ずっと悲しいんです」

 16日昼12時30分頃、京畿道安山市(アンサンシ)古桟洞(コジャンドン)にある「記憶教室」で、一人で車椅子に乗って見学していたキム・ソニョンさん(44)は涙ぐんだ。「もう5年が過ぎたのに真相究明もされていないから、(遺族の)親もつらいし、(住民である)私たちもつらいです」

 セウォル号の惨事当時、自分の息子も高校2年生だったというキムさんは「事故でぷっつりと亡くなったのでもなく、少しずつ(船が)沈んでいった中で、子どもたちはどれほど苦しかったか…」と言い、言葉を継ぐことができなかった。

 セウォル号5周年を迎え、京畿道安山市では一日中犠牲者を追悼し、真相究明を要求する追悼行事が続いた。在学生の後輩たちは先輩が、遺族には子どもが思い出されてならないからだろうか。真相究明がまともになされていないためだろうか。桜の花が満開の檀園高校と花郎遊園地のあちこちに悲しみが漂っていた。

 「私たちが願うことは大きなことではありません。ただ、忘れないことです。先生や先輩たちを覚え続け、忘れません」

 この日午前、檀園高校の講堂では一度も会ったことのない先輩たちを記憶する在学生たちが、手首や胸にセウォル号の黄色いバッジなどをつけ、「また春、希望を抱く」という追悼の時間を持った。

 3年生の副会長のキム・ミニさんは「5年前、セウォル号惨事の日も今日と同じく花が満開の暖かい春だったが、その頃、私たちの心と体は限りなく冷たい冬のようだった。いつのまにか時間が流れて5周年になったが、まだ真実は水面下にとどまっている」と話した。

 追悼式を終えた3年生の生徒たちは、カバンを背負ったまま自主的に記憶教室を訪れた。記憶教室と教務室を見て回っていたある女子学生は「あまりに胸が痛くて…」と言い、また別の男子学生は言葉も出ず天井ばかり見つめ、教室を出た。

 記憶教室には、犠牲になった生徒たちの遺族や市民たちも一緒にいた。ある遺族は教室に立ち寄り、机の上の“メモリー”と書かれたノートを開き、少しずつメッセージを書いていった。

 「ジュンヒョン、叔母さんや叔父さんたちと一緒にあなたの席に座っていくよ。あなたの永遠の友達の〇〇おばさんをきっと守ってね」

 公式日程のためにセウォル号5周年記憶式に出席できず、あらかじめ記憶教室を訪れたという中小ベンチャー企業部のパク・ヨンソン長官は「毎年ここを訪れた。今年もセウォル号の遺族、生徒たちが元気でいるか見たくて立ち寄った。セウォル号の犠牲が安全社会、安全国家に進む道しるべになってほしい」と述べた。

 この日の昼、檀園高校の前にある古桟駅では、市民約1千人が黄色い風ぐるまとセウォル号の形の風船を手に街頭行進をした。古桟駅を出発して記憶教室に立ち寄り、犠牲になった生徒たちを追悼した人々は、また5周年記憶式が開かれる花郎遊園地に向かって長い隊列をつくって歩いた。

 この日、記憶教室で会った4・16家族協議会のチョン・ミョンソン前運営委員長は「セウォル号の惨事後、人々にセウォル号について聞かれたら『壊れた家庭』と表現してきたが、時間が経った今、『新しい希望』と言っている。セウォル号以後に変化した社会の姿を見ることができると思うからだ」と語った。また、「人はつらい記憶は忘れ、良い記憶だけを残すという。皆さんがセウォル号の惨事について『つらい』『悲しい』とだけ覚えていないでほしい。セウォル号の惨事は、権力掌握ばかりに目がくらんだ不道徳な社会と、大人たちが作った犯罪行為だったことを覚えていてほしい」と話した。

 この日午後3時、安山の花郎遊園地ではセウォル号惨事5周年記憶式が開かれた。安山全域に1分間追悼サイレンが鳴った。ユ・ウンヘ教育部首相をはじめ、イ・ジェミョン京畿道知事、イ・ジェジョン京畿道教育監や、遺族、市民など約5千人が出席した。

文・写真/ホン・ヨンドク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:4/17(水) 11:54
ハンギョレ新聞

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