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「現人神」父への疑問 苦悩越えて不戦の信念【平成と天皇シリーズ】

4/18(木) 12:00配信 有料

西日本新聞

宮内省の職員運動会で、昭和天皇と一緒に観戦される少年時代の陛下(左)=1947年4月

 戦争と復興の時代だった昭和を経て、1989年に始まった平成は、間もなく終わりを迎えます。「天皇と平成シリーズ」では、新たな時代の象徴天皇として歩んでこられた天皇陛下の足跡をたどり、九州・沖縄を中心にゆかりの人々の秘話を掘り起こすことで、平成という時代を振り返りました。
※以下は2018年8月16日時点の内容です

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 ゆっくりと語り掛けるように、不戦と平和を願う言葉を読み上げられた。

 8月15日、全国戦没者追悼式に出席した天皇陛下は、皇后さまと共に頭を下げた後、式壇中央の「全国戦没者之霊」と記された標柱をしばらく見つめた。平成は来年4月末に幕を閉じ、天皇としての出席は今年限りとなる。

 戦争の時代に育った陛下は、陸海軍を統べる将来の「大元帥」として期待を一身に受けた。1944年1月の作文には「(穏やかな正月を過ごせたのは)戦地の兵隊さんが命をすてて働いてくださっている」との記述がある。同世代の少年と同じく、軍国教育に染まった一人だった。

 終戦の玉音放送は疎開先の栃木県日光市のホテルで聞いた。侍従らがおえつを漏らす中、ラジオの前にじっと正座し、握ったこぶしは震えていたという。一緒に疎開していた学友の明石元紹さん(84)=東京=は「終戦で明るくなったという級友もいるが、僕にはそうは見えなかった。負けて良かったなんて考えなかったと思う」と振り返る。

 日光から列車で帰京したのはその3カ月後。皇室専用ホームがあった原宿駅で降りた一行は、焼け野原を目の当たりにした。「電信柱もみな焼け落ちていた。あのにおい、湿度…。今も強烈に印象に残っている」と明石さんは言う。天皇制の存続自体が危ぶまれる中、11歳の陛下は同じ光景に何を感じたのだろう。 本文:2,717文字 写真:4枚

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西日本新聞

最終更新:4/18(木) 12:00
西日本新聞