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「境界線はすごく曖昧」 パラスポーツの魅力伝える大橋未歩さん

4/18(木) 14:12配信

47NEWS

 民放アナウンサーとして五輪を3大会取材した大橋未歩さん(40)は、2013年に脳梗塞を発症した経験から、パラリンピックへの興味が増したという。17年にフリーアナに転向。昨夏から日本肢体不自由者卓球(パラ卓球)協会の特別アンバサダーとしても魅力を伝える。(聞き手は共同通信=三木智隆)

  -パラ卓球のアンバサダー就任のきっかけ

 テレビ東京時代に卓球にお世話になって、恩返しをしたい気持ちだった。脳梗塞になってから、パラスポーツに関わりたいと思っていたので、すぐに決めた。嬉しかったです。

 -2013年に脳梗塞を発症した

 夜寝る前、顔を洗っているとき、右手が左手に触れたとき、感覚がなく、マネキンに触っている感触だった。顔用のクリームを手に取ろうと思ったら、それが床に散乱した。それを拾おうと思ったら、ガクンとなった。家族は私の顔を見たときに「左側が垂れ下がっているような感じ」と言って、これは脳関係の病気じゃないか、ということで救急車を呼んだ。CT検査では詳しいところまで分からず、2日後にMRIを取ったら、脳系の病気ということが分かった。4カ所の脳梗塞が判明し、車いすに乗って入院した。

 -脳梗塞は素早い対処が必要となる

 倒れて実際に麻痺になったのは15分間くらい。そのあと、自然と元の症状に戻った。入院して、血栓を溶かす薬を投与し続け、なぜ脳梗塞が起きたのか検査した。退院後は、神戸の実家で療養生活を送った。なんで、この年で脳梗塞になったのかなということを考えていた。療養生活中、レギュラー番組を他のアナウンサーがやってくれて感謝しかないが、分かっていたけど、自分がいなくても会社も社会も回るよな、というのも痛感していた。完全に休んでいたのは8カ月。その間、実家療養やステントを入れるためのオピニオンを聞きに行ったりした。

  -人生観も変わったのでは

 私は脳卒中の患者さんが入院しているフロアにいた。そこで麻痺が残る方々をたくさん見た。私もわずかな時間、麻痺になったし、後遺症が残ってもおかしくなかったと思ったときに、健常者と障害者の境界線って一体何だろうと思った。実はすごく曖昧な線ではないかと思った。自分自身も当たり前のように、障害者、健常者という言葉を使っていたが、疑いを持たなかった自分が怖かった。その後復帰して、パラスポーツの選手にインタビューしたとき、みんな「優しい差別」という言葉を使っていたのが印象的だった。気を使ってくれているという行為によって、線が引かれてしまう。線を引かれることによって、私たちが訴えたいことが届かないことがある、ということを聞いた。健常者、障害者という二元論って必要だろうかということを考えていた。

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最終更新:4/20(土) 21:11
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