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すべてのコレクターが一台は所有すべき最高に贅沢な車とは?

4/18(木) 11:36配信

octane.jp

世の中のリムジンは多くがその高級感と伝統の様式に於いてロールス・ロイス ファンタムV(Five)を踏襲している。この特別な"ブランド"についてのエキスパートであるポール・ウッドが、すべてのコレクターが一台は所有すべきだというその理由を語る。

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「過小評価に過ぎる」と、ロールス・ロイスのスペシャリストでありエンスージアストでもあるポール・ウッドはいう。「皆これを巨大で鈍重なリムジンだと思っていて、コレクターたちは敬遠します。しかし、ロールス・ロイスをコレクションするのであればファンタムVは欠いてはいけないモデルです⋯」

それを我が目で確かめるために、クリスマスを前に久しぶりに晴れわたって、キリッと冷たい空気のこの日、イーストアングリア地方の広大な空の下に広がるグレート・イースタン村までやってきたのだ。そこは、何かとてつもなく大きな亡霊(ファンタム)のような存在が与えたとしか思えない村だ。その、静かで暖かく居心地のよいジョージアンスタイルの客間で、ポールは私を必ず納得させようとしていた。彼の考えでは、ファンタムは過去最も素晴らしいロールス・ロイスなのだ。

「これはエレガントで高品質、そして優雅さを体現している。重要な人物達のためのリムジンとして絶対的頂点を極めたものだ」と、ウッドは語りはじめた。実に力強い言葉ではないか。それに先立ち、ポールは初めての彼を訪ねてきた者にそうするように、彼の本拠地であるP&AウッドLtdの施設を案内してくれた。そこは、彼が弟のアンディとともに半世紀以上かけて作り上げたロールス・ロイス帝国であり、ロールス・ロイス社が自社に代わって事故車修理を行うことを認めた英国内で唯一の施設である。同社ではコーチビルドさえも行っている。

また、ポールの出自がロールス・ロイス航空機エンジニアであることを示すように、ロールス・ロイスのレシプロエンジン中で最も成功を収めた液冷V型12気筒のマーリンエンジンとWOベントレーの初期の傑作である星型9気筒のBR1エンジンを展示した部屋もある。ポールの案内によるワークショップとショールームの見学は、まるでロールス・ロイス歴史学の個人レクチャーのようだ。ポールはここにある車の裏表をすべて知り、さらには全ロールス・ロイスについての深い知識がある。彼がロールス・ロイスについて語るなら、私はなんでも聞くだろう。

最近の金持ちや、はたまた悪政の独裁者なら、BMWが設立したロールス・ロイス・モーターカーズ社が開発し、2003年から2017年まで販売された"ファントムⅦ"や"ファントムⅧ"という最新モデルを買うかもしれない。ドイツ資本に買収後に開発されたモデルだが、連番は継続というわけだ。だがその内容はほとんど継承されてはいない。

ヴィッカース時代最後のファンタムだったⅥは、1991年に製造終了となった。ファンタムⅠはシルバーゴーストが製造を終了した4年後の1929年に登場するが、それ以来、ロールス・ロイスのフラッグシップとして最高峰のモデルであり続けた。最初の2モデル、ファンタムⅠとⅡは直列6気筒エンジンを搭載していた。

1936~1939年のファンタムⅢは、1998年に登場したシルバーセラフ以前では唯一のV型12気筒を持つ。シリーズ中で最もレアなのは、シルバー・レイスの直列6気筒をベースにして8気筒化したエンジンを備え、プリンセス時代のエリザベス女王にデリバリーされたファンタムⅣだ。ロールス・ロイスの社内用を含めて18台のみが造られ、そのうち16台が現存する。これはファンタムⅣの購入資格を王族と国家元首に厳しく制限し、ベースとなったシルバー・レイスを一般顧客用とするよう、故意に限定数としたためだ。

世界で初めて御料車をお買い上げになったのは、1900年に英国王子時代のエドワード7世で、その栄誉はデイムラーが授かったことで、これ以降、英国王室はデイムラーを乗り継いできた。だが、プリンセス・エリザベスがこの伝統をあえて破って、デイムラーではなくロールス・ロイスを発注されたのには訳がある。当時の英国は、「輸出か死か」といわれる戦後復興の最中にあり、世界的にはデイムラーより知名度の高かったロールス・ロイスの販売をサポートしなければならないというのが、その理由だったと言われている。

それまでに、長年にわたって築き上げられた高級リムジンの様式を継承し、それら旧弊とも言われる作法や排他性を引き継ぎながら、空調やパワーウインドウ、また逞しいがスムーズで控えめなV8エンジンなどの最新装備を融合させたファンタムⅤは、1959年に登場した。『AUTOCAR』誌の表現によれば、それは「現代のビジネスと政界において重要な顧客とエクゼクティブが必要とする真に贅沢な移動手段」だった。その広大な空間は、平均的な現代の車に乗り降りして窮屈さを感じていた買い手たちを強く惹きつけたことだろう。

ファンタムⅤは、それ自体がすでにかなり並外れて大きなシルバー・クラウドⅡをベースとしているので、平均的な車との比較は意味がない。123インチのスタンダード・ホイールベースを21インチ延長して143インチ(3632mm)とし、クロスメンバーを追加することで補強したシャシー。クラウドⅡから新たに搭載された6227ccの90°V型8気筒エンジン。パレード走行を設定して特に低いギア比を設定したGM設計によるライセンス生産の4速オートマチックギアボックス。そしてギアボックスから駆動されるブレーキサーボを備えた。 

エンジンはキャデラックおよびクライスラー製V8の特徴的設計をコピー、そしてブレーキはイスパノ・スイザ特許の
メカニカル・サーボ・システムをベースとしている。これらに関してのポールのコメントは、「彼らはすでにある中でベストのものを採用し、それをさらにリファインした」だが、これは悪くない考え方だ。

コーチビルドが基本のリムジンだが、スタンダードボディというべきものは、当時のロールス・ロイスと近い関係にあり、その後1962年に吸収されて社内コーチビルダーとなったパーク・ウォードが手掛けた、いかにも生真面目な雰囲気を持つ7座リムジンであった。もちろん、セパレートシャーシーを持つということは、オーナーが自分で選んだコーチビルダーにシャシーを持ち込みボディを架装させるという、昔ながらの方法も可能なことを意味している。フランスのアンリ・シャプロンが架装した、縦型4灯ヘッドライトがユニークな1961年製ワンオフ、1820年代から続く特殊車両のコーチビルダー、ウッドオール・ニコルソン製の個性的な霊柩車などなど⋯。だが、最もエレガントなコーチワークといえば常にジェイムズ・ヤングのものを置いて他にない。

ロールス・ロイスを専門としたコーチビルダー中でも、最もクオリティが高いと評価されるのがジェイムズ・ヤングだ。その品質はドアの閉まり方ひとつで違いが歴然と判るという。テイムズ川の南側、ロンドン東南部ブロムリーで1863年の馬車時代から続く文字通りのコーチビルダーであるジェイムズ・ヤングは、1908年にウーズレーのボディを架装したのを皮切りに高級車のコーチビルドを得意とし、特に1937年にロンドン、バークレースクエアにあるロールス・ロイス/ベントレー・ディーラーのジャック・バークレーが買収してからは、これら両モデルのシャシー上にボディを架装することを生業としてきた。

ボディを手掛けたのは、ジェイムズ・ヤングのスコットランド人チーフデザイナー、AF マックニールである。彼は、顧客の近くで商売するというコンセプトでロンドンのチェルシーに拠点を構え、高級車の架装を得意としていたガーニー・ナッティング社から、ジェイムズ・ヤングに引き抜かれた。マックニールの溢れる才能は、フラッシュサイドに残っていた前後フェンダーのウエストラインに抑揚を増し、サイドの印象を柔らかくまとめあげた。すなわち、前輪上からなだらかに下降したラインは後席ドアで一旦低く落ち込んだ後、そのまま後輪を丸く包み込み、テールランプに向かって再び低く裾を引く。

ファンタムⅤで行われたジェイムズ・ヤングの仕事で最もエレガントものは、その後期に採用された「フーパースタイル」のリアクオーターウインドウだろう。「フーパースタイル」とは、1805年から続く高級車と高級馬車のコーチビルダー、フーパー& Coが生み出したスタイルだ。戦後のフラッシュサイドの時代には折衷ともいえるフロントフェンダーが、リアのホイールアーチまで優雅に裾を引いたデザインで有名だが、このフェンダーラインに合わせて、リアクオーターウインドウの後端がルーフラインと正反対の弧を描くウインドウラインを「フーパースタイル」と呼ぶ。いわばライバル会社の特徴のコピーだが、フーパーは、将来のモノコックボディの到来を予期して1959年に早々と事業を閉めてしまっていたので、「良いものはなんでも取り入れる」ロールス・ロイスの行き方としては問題はないのかもしれない。

さて、今回取材した"Ⅴ"は、ジェイムズ・ヤングのデザインナンバーPV23、いわゆるツーリングリムジンだ。ジェイムズ・ヤングでは当初、7座席のフォーマルリムジンボディをPV15、どちらかといえばプライベートユースの、4~6座席のツーリングリムジンボディをPV22と呼んでいたが、1965 年のボディデザインの変更によって、それぞれPV16、PV23に変わった。PV23のLhd仕様は13台といわれている。本来、7名乗のフォーマルリムジンボディを載せることができるホイールベースに、4~6名用のちょっとスポーティなボディを乗せるのだから素晴らしいプロポーションが生まれる。ポールは力説した。

「これは中でも最もエレガントなものだ。30万ポンド、状態のいいものはもっとする。選び間違えれば錆びに悩まされることになるが、そこが何より重要で、完全に腐食のないものを探す必要がある。それでも、これの実際のライバルだったメルセデス600プルマンの価格と比べればバーゲンだといえる。巨大だが、このエレガンスとスタイルのレベルは他では望み得ないものだ。だから、実はたとえどのようなコンディションであろうとも、現存しているだけでも貴重なんだ。なにしろ9年間に、たった516台のファンタムⅤしか造られなかったのだ。決して多いとはいえないだろう」

196台をジェイムズ・ヤングが架装したが、そのうちの125台は1963年にシルバー・クラウドⅢの発表とともに4灯式ヘッドランプへと変更された。

乗降には無理な姿勢などもちろん必要ない。ドライバードアは重々しく、しかしスムースに開く。広々したフロントベンチシートに辿り着く前に、ランニングボードに足をかけて登る。前席はリムジンの伝統に則ったレザートリム。そのまま後ろを振り向けば、リムジンの定石通り、レザーではなく英国高級車の定番内装材であるウエスト・オブ・イングランド・クロスに包まれたリアコンパートメントが目に入る。ダッシュボードはチッピンデール様式のサイドボードのようだ。

レヴカウンターを持たない典型的なロールス・ロイス・スタイルのインストルメンツの一群は、センターを中心に左右対称に配される。これは"伝統に従った"というより伝統そのものだ。ドアを閉めればカチリと精密に閉まる。

まずはロールス・ロイス初のV8に火を入れる。一瞬吠えて目覚めれば、あとは極めて控えめなエンジン音になる。ステアリングコラムから突き出た、繊細で魔法の杖のようなトランスミッションセレクターはパークポジションを持たないから、NからDポジションたる「4」に入れ、英国では"アンブレラハンドル"と呼ばれるステッキタイプのパーキングブレーキを解除し、粛々と発進する。想像通り大きく感じるが、決して扱いにくくはないし、重くも感じない。パワーアシストステアリングは軽いが緩くはない。この巨体の舵を指先で取ることにはすぐに慣れるだろう。アイドリングよりわずか上の回転でV8から溢れ出るトルク。程なく巡行に入り、ギアボックスは自動的に適切なギアを選ぶ。

最新の"ファントム"ⅦやⅧのような、密閉されたモダンカー特有の人工的な無音ではなく、洗練された機械的な静寂に包まれる。高級ホテルで感じる、遠くから微かに聞こえる活気、または乗船しているクルーズライナーのわずかなスクリュー音のような精神に寛ぎをもたらす静寂だ。クルーズライナーという表現は的確だ。ファンタムⅤのキャラクターは蒸気で大西洋を横断していた時代の大きな船を連想させる。



メカニカルサーボ付きブレーキは、効きに達するためには少なくともホイールの1回転を必要とする。だから、このブレーキは事実上速度制御装置に過ぎない。路面状況は細身のベークライト製ハンドルを介してデリケートにフィードバックされる。そしてもちろん、車はロールする。しかしそれは穏やかで、乗員はその中で揺れるというよりはともに動く感じだ。おそらくは、その重量またはボディのオーバースケールなプロポーションが作用しているのだろう。何か時間の流れさえスローダウンさせるように見える。

この車の真価は後席にあることはわかっているから、次にはそれを確かめなくてはならない。私が車を道の片側に寄せ、リアヒンジのドアを開けている間にポールはショーファーの仕事場に滑り込んだ。上品で趣味の良い角型のドアレリースボタンこそジェイムズ・ヤングの真骨頂だ。暖かく快適なソファにゆったりもたれる。かっちりしたショルダーサポートとフワフワのスプリングは古い劇場の椅子を思わせる。

ポールはスピードに乗り、そこで私はやっと車に乗っていることを思い出した。走行中、路面はホイールの下でなめらかに滑って行くようだ。穏やかで大股なピッチング。そしてすべてのハーシュネスが丸くなって遠ざかるようだ。バンプは決して唐突ではないが、ある。それは豪華客船をまたしても思い起こさせた。非常に快適で優雅な時間を過ごすのに最高の場所。距離を縮め、そしていつか必ず目的地に到着する。私はパーティションガラスを開けてポールと話したけれど、オーナーはボタンを押すだけで自分の空間を完全に密封することもできる。

わたしたちはP&Aウッドに戻り、再び周囲を回ってみた。存在感に改めて圧倒された。各ピラーはCピラーを除いては皆細く華奢で、ガラス面積は最大限だ。現行の"ファントム"の太いピラーや、ブラックアウトに近いプライバシーガラスとは対照的だ。接合部のチリの細さはジェイムズ・ヤングのお家芸である。特にこの車が50年以上一度も分解されたことがないことを考慮すればなおさら驚くだろう。ポールはP&Aウッドではコーチワークを担当していて、熟練のスペシャリストとしての彼の目は見るべきところを見逃さない。

「コーチワークのクオリティ、パネルフィット、ドアの締まり具合、キャビン内部のすべてのウッドワークの仕上、カクテルキャビネットの作り、ピクニックテーブルの上げ下げの動き、クオリティはアメイジングだ」と絶賛する。すべてのハンドル類、キャッチ、ボタン類は特徴的なジェイムズ・ヤング専用品なのである。

「このリアクオーターウインドウは私の大好きな、こいつのスタイルの要素だ。折りたたみ式の補助椅子やカクテルキャビネットも優雅なだけではなくスムーズに扱える。これは実際かなり実用的で使える車なんだ。なぜもっと多くの人々が評価しないのかって。それは公道上では扱いにくいという単なる思い込みからだ。しかもその点は、いかに段取りするかによるのだ」とポールは続けた。

板バネで支持したリジッドアクスルにドラムブレーキという、単調で面白みのないランニングギアであるにもかかわらず乗り味は明らかに快適だった。それなのに運転に緊張を感じさせてしまうという好例だろう。

「言われなければ気づかないことかもしれないが、この車のコンポーネントの品質は信じがたいものなんだ。派手さはまったくないが、ボンネットの中は電気制御のヒーティングシステムの駆動装置を含めてすべて黒のエナメル塗装。こういう点を尊重することがとても高度で先進的な考え方なんだ」

最後のファンタムⅤはパーク・ウォード製リムジンだった。それは後に実験部門で1968年から正式生産されたファンタムⅥにコンバージョンされたが、それ以前の1967年に、ロンドンのコンデュートストリートにあったロールス・ロイス直営のショールームにデモンストレーターとしてデリバリーされたものだった。ファンタムⅤはフーパーやシャプロンなどが架装した5台と、台数では最多の196台を架装したジェイムズ・ヤング以外はすべて社内で架装された。

「社内」というのはマリナー・パークウォードを指す。共に老舗のコーチビルダーであったH.J.マリナーとパークウォードは1960年ごろ相次いでロールス・ロイスに吸収され、合併して社内コーチビルダー、マリナー・パークウォードとなった。そしてロールス・ロイスのボディを架装できる最後の独立系コーチビルダーであったジェイムズ・ヤングも、社会の近代化の波に洗われその後の衰退を免れなかった。

マリナー・パーク・ウォードは、ファンタムⅥのシャシーに346台のリムジン、12台のランドーレット、そして10台ほどのスペシャルを造った。合計台数は、何台かの霊柩車と、後のカマルグに明らかに影響を与えたであろうピエトロ・フルア製の長大なワンオフ2ドアDHC、またそれと同じくらいユニークな、最終的に英国のコーチビルダー、ロイヤルカーズ社が1971年製のシャシーに架装した、上品とは言い難い1993年製4ドア7座カブリオレを含めて374台である。

ヨーロッパと北米の安全基準に適合させるべく、ファンタムⅥは伝統の後ヒンジのリアドアを1972年に前ヒンジに変更したが、それでも米国の連邦安全基準はファンタムⅥの北米での販売を不可能にしてしまった。「ファンタムⅥは特別な存在というわけではなかった。つまりシルバーシャドウのコンポーネントを組み込んだファンタムⅤだったんだ」とアンディは語る。この合理的とも言える手法で、最後の13年間に67台が造られた。

もしも伝統に沿った本物の気品、それに現代的なパワーと洗練を加味した車を望むなら、ジェイムズ・ヤング製のファンタムⅤは、そのバランスからまさに最高の存在だ。「結局、こいつは戦後最高のコーチビルダーが手がけた最高級車だよ」というポールの言葉がすべてを語っているだろう。

Octane Japan 編集部

最終更新:4/18(木) 11:36
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