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ルパンに隠された飽くなき探求心 姿消すように逝く

4/18(木) 0:46配信

日刊スポーツ

アニメ化もされた国民的人気漫画「ルパン三世」の原作者で、漫画家のモンキー・パンチさん(本名・加藤一彦=かとう・かずひこ)が11日午後7時26分、肺炎のため千葉県内の病院で亡くなった。17日、公式サイトが発表した。81歳だった。葬儀は、故人の遺志で近親者のみで執り行った。後日、しのぶ会を予定しているという。

【写真】ルパン3世のポーズをとるモンキー・パンチさん

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モンキー・パンチさんが、ルパン三世が追っ手の前から姿を消すように、あまりに急に旅立った。5月31日に最新アニメ映画「LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘」(小池健監督)の公開も控える中だった。関係者によると2、3年前から体調が悪く、最近は目立った創作活動はしていなかったという。

北海道浜中町の漁師の家に生まれたモンキー・パンチさんは、霧多布高校定時制に通いながら放射線技師の助手を務め、19歳で漫画家を目指して上京。貸本用の漫画を描くアルバイトをしながら漫画を書き、売り込み続けた。その中、双葉社の目に留まり1965年(昭40)に「漫画ストーリー」から「プレイボーイ入門」でデビュー。翌66年、同誌の清水文人編集長の提案を受け、ペンネームを「モンキー・パンチ」に変えた。そして67年に「週刊漫画アクション」で「ルパン三世」の連載を始めた。

怪盗アルセーヌ・ルパンの孫の大泥棒ルパン三世が、超絶な早打ちガンマン次元大介、居合抜きの名人・石川五ェ門、謎の美女・峰不二子を交え、銭形警部と追いつ追われつするスリリングな物語は、アメリカンコミック風の画風と相まって人気沸騰。71年に日本テレビ系でアニメ化され、78年には映画化された。

「ルパン三世」がヒットする傍ら、米アップル社のパソコンで80年代後半から作画を始めた。デジタル方面への関心は強く、03年にはデジタルマンガ協会を発足し、12年まで会長を務めた。さらに同年に東京工科大大学院メディア学研究科メディア学専攻修士課程に入学し、05年3月に修了した。

その後、同年に大手前大(兵庫県西宮市)の教授に就任。マンガ・アニメーションコースを作ったことを受け、同大は人文科学部美術学科を人文科学部メディア・芸術学科に改組したという。12年からは客員教授、今月から名誉教授に就任し、教育という形で後進の育成にも取り組んでいた。

最終更新:4/19(金) 19:05
日刊スポーツ

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