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日本に2人だけ、最高ランクの「ケンタ職人」に直撃 揚げたチキン88万本、大切にしているカーネルの教え

4/21(日) 7:02配信

withnews

カーネル・サンダースの教え

 笠原さんは1997年に入社。一家言ある「チキン職人」の先輩たちに教え込まれました。4年目には店長になり、神奈川県を中心に10店舗を運営。その間Sランクを維持し、「チキンへのこだわりをお客様に伝えたい」とマイスターを志望しました。

 カーネルの残した言葉で特に大切にするのは、「安易な道ほどやがて険しく、険しい道ほどやがて楽になる」。訪問先の店舗でもカーネルの志やおもてなしの精神を示し、「困難な道から逃げちゃだめだ」と話しています。

守り抜いた国産の冷蔵肉

 日本法人が守り抜いてきた伝統も、説明しています。1980年代前半に、米国の本社から「海外の冷凍の鶏肉を輸入して使うように」との要請がありました。

 冷凍の肉は保存が簡単です。でも、当時の社長は国産の冷蔵の鶏肉にこだわりました。ケンタッキーは個々の店舗で手作りしているので人手も手間もかかります。それでも、安易な道に行かなかったからこそ、チキンの味は途絶えなかったのです。

 全従業員に配られる「ブランドパスポート」には、こうしたカーネルの言葉や日本KFCの歴史、オリジナルチキンのこだわりが載っています。2年前の改訂作業は笠原さんが主に担当しました。

 手作りだからこそ、作り手の一人ひとりの思いが大切――。そう考える笠原さんは秘伝のスパイスをまぶす工程で、こんな魔法の言葉をつぶやいています。

 「おいしくなーれ、おいしくなーれ」

取材を終えて

 笠原さんは入社前からアメリカにまつわる物が好き。大学時代、アルバイト先のラーメン店で革ジャンパーを着て高級バイク「ハーレーダビッドソン」に乗る店長に憧れ、100万円でハーレーを購入しました。

 6年ローンで両親には内緒。両親に見つからないように、ハーレーはラーメン店に置いていました。家庭を持ってからは軽自動車が愛車になりましたが、それまでは「ビュイック」「キャデラック」などの「アメ車」にも乗っていたそうです。

 カーネルがケンタッキー州で生み出したアメリカのソウルフード。その精神を受け継ぎ、素材・調理を徹底的にこだわる。笠原さんからは、そんな職人魂を感じました。

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最終更新:4/21(日) 7:02
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