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浦和レッズとOBとの幸福な関係…「開花」したアスリートのセカンドキャリア

4/19(金) 14:15配信

SOCCER KING

 2016年、東武動物公園。新プロジェクトのメンバーが事務所の一室に集められた。開園35周年記念事業の一環として動物園、遊園地、プールに次ぐ新たな集客の目玉「ハートフルガーデン」の立ち上げがメンバーに課せられた使命だった。

 プロジェクトチームに入った東海林彬(とうかいりん あきら)は、ハートフルガーデンにふさわしいバラを探していた。そしてある時、浦和レッズが育種に携わったバラ「REDS ROSE(レッズローズ)」の存在を知り、居ても立ってもいられなくなる。

「REDS ROSEをどうしても入れたいです!」。東海林は会議の場で何度も訴え続けた。かつて選手として浦和に在籍していた彼にとって、絶対に実現させたい構想だったのだ。

強烈なインパクトを受けた地鳴りのような声援

 1983年生まれ。出身は埼玉県東部の杉戸町。日光道中の江戸から数えて5番目の宿場として古くから知られる町で東海林は育った。Jリーグヤマザキナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)が初めて開催された1992年、小学3年生の時に地元の杉戸倉松サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。

 杉戸町立広島中学校に進学してサッカー部に入部する。その頃は浦和の試合をスタジアムで一度も見たことはなかったが、中学1年生の時、練習見学に誘われた。

「母親の友達がレッズを応援していて、大原(サッカー場)まで連れて行ってもらい練習を見学したんです。(土田)尚史さんや田北(雄気)さん、岡野(雅行)さんと一緒に写真を撮ってもらったりして、Jリーグへの憧れを抱きました」

 中学卒業後、春日部市にある埼玉県立庄和高校のサッカー部に入った。ポジションはFWで埼玉県国体選抜の候補に選ばれたこともあったが、「プロになるという選択肢は自分の中になかった」と当時を振り返る。小学校から高校まで強豪校に在籍したことは一度もなかった。

 しかし、3年生の夏に転機が訪れる。浦和の強化部でスカウトを担当していた落合弘(現浦和レッズハートフルクラブ キャプテン)の目に留まり声を掛けてもらったのだ。その時初めて「もしかしたらプロになれるかもしれない」と将来の姿を意識した。

 落合から招待を受けて、ずっと見たいと思っていたJリーグの試合をその時初めて観戦する。2001年、会場はさいたま市駒場スタジアム(現浦和駒場スタジアム)だった。

「サポーターの声援が地鳴りのようで、とにかくインパクトが強かった。そこで初めてこんなところで試合ができるのかと実感しました。強豪校の選手なら大勢の観客に囲まれて試合をした経験があるかもしれませんが、僕にはそうした経験がゼロだったので足が震えてビビりましたね」

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最終更新:4/19(金) 14:15
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