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観光客熱狂の新名物が続々 温泉地が大変貌

4/21(日) 18:01配信

テレ東プラス

温泉町を変える旅館革命~明朗会計&絶品料理

東京から新幹線で1時間10分の新潟県湯沢町。いろいろな泉質の源泉を持つ温泉地として900年の歴史を誇る。

戦後、湯沢を大ブレイクさせたスキーブームも今は昔、客は3分の1以下に減ってしまった。その町の一角に、日本中の温泉町が注目する人気スポットが生まれている。

それが1軒のカフェ。客のお目当ては、ここでしか味わえない湯沢スイーツだ。お薦めは新潟の地酒で作った「生原酒ジュレ」(464円)。アルコール度の高い原酒をたっぷり使い、驚くほどフルーティーな味わいだという。「温泉プリン」(345円)も家族連れに人気。とろとろの舌触りは、温泉水を使って蒸しあげた。

そしてほとんどの客が注文しているのが「温泉珈琲」(572円)。温泉水の中でも、湯沢で唯一飲めるものを使ったまろやかさが自慢で、これを目当てに東京からも客が訪れる。

実はこのカフェがあるのは温泉旅館。このシーズンは予約がほとんどとれない人気の宿「HATAGO井仙」だ。

和の空間にベッドを置いた落ち着いた雰囲気の室内。ところが隣の部屋は、板張りのシックな雰囲気。丸いコタツのあるかわいい部屋もある。自慢は部屋についた、贅沢な源泉掛け流しの露天風呂。「井仙」は全ての部屋が違う造りになっている。12人で泊まれるという大部屋は、大きなソファーに、地元の食材で調理ができるようにキッチンまで付いている。この日、泊まっていたのは、子供が友達同士という2家族だった。

かつて「井仙」は、地方でよく見るコンクリートのホテルだった。温泉旅館の革命児、いせん社長・井口智裕は「以前は『湯沢ビューホテルいせん』という名前で、スキーや同級会のお客様が主でした」と言う。

1973年に、代々、湯沢で旅館を営んできた家に生まれた井口。町がスキーブームに沸いた絶頂の頃、アメリカの大学へ留学し、マーケティングを学んだ。しかし、帰国すると、バブル崩壊で湯沢の町は一変していた。

「僕が戻ってきた頃は、毎年右肩下がりにスキー客が減って、それに準じて宿の売り上げも下がっていた。このままではいけないという危機感はありました」(井口)

井口はスキー客向けのホテルではなく、改めて温泉町にある宿として再起を計れないかと考え始める。そして東京に出向いて行ったのが、一般客へのヒアリング。すると、「高い宿に泊まった時、お料理が出てきて『これであの値段』とがっかりした」「2人でゆっくりしたいから行ったのに、仲居さんのサービスが余計だった」と、思わぬ声が寄せられた。

「今まで僕らが常識として考えていた温泉旅館のおもてなし、例えば部屋食があったり、仲居さんがサービスしたりということが、実はそれほど求められていなかった。もしかしたら一般の方と意識が違うのではないかと気がつきました」(井口)

井口は徹底的に客のニーズに応えた新しい温泉宿へのリニューアルを決断。2005年、「HATAGO井仙」を開業する。そのコンセプトは、ホテルと旅館のいいとこ取り。

「機能的な部分はホテルを取り入れますが、本質的な部分は旅館を追求する」(井口)

客室は、画一的な作りとは真逆の現代的な和風デザインに全面改装。旅館の定番だった宴会場をなくして、大部屋にした。また、旅館で当たり前だったサービスをゼロから見直した。ベッドの導入も、仲居のサービスをやめるためだ。

さらに、1泊2食付きで宿泊料を決める日本独自の料金体系も廃止し、分かりやすくした。例えばある部屋は、朝食付きの場合、基本料金4000円に、宿泊者1人に付き6000円を足していく仕組み。夫婦で泊まれば1万6000円だ。

夕食を付けたければ、さらに6000円プラスして、館内にある浴衣でもOKのレストランで。井口は腕のいい料理人を探し、地元の味わいで客を満足させようと料理に力を入れた。井仙オリジナル、新潟づくしのコース料理。「冬野菜の信田巻き」には地元の野菜がぎっしり。「奉書焼き」で蒸し焼きにしたのは、日本海であがった天然のアンコウだった。

深夜の到着で食事ができない客には、夜食「おとりおき御膳」(2700円)を付けることもできる。全ては、旅館の価値を一から客目線で見直す中で生まれたものだ。

「作られた温泉旅館像を追うのではなく、むしろいろいろなものを削ぎ落としたうえで、必要なものを付加するということです」(井口)

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最終更新:4/21(日) 18:01
テレ東プラス

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