ここから本文です

現代に「イノセント」を受け入れてくれる場所はあるのか?『幸福なラザロ』

4/23(火) 7:00配信

CINEMORE

新聞記事とイタリア映画

 映画解説者・評論家の淀川長治は、かつて各国の映画の特徴を、それぞれ簡単なひとことで表現した。それによると、アメリカ映画は「生活」を題材とし、スウェーデンの映画は「神」をテーマとする。フランス映画はとにかく「恋」を描き、イタリア映画は新聞の「三面記事」であるという。それを地でいくようなイタリア映画が、本作『幸福なラザロ』である。アリーチェ・ロルバケル監督は、学生の頃に触れた、いまでは誰も覚えていないような80年代の新聞記事の内容を、本作『幸福なラザロ』の題材としているという。

 その記事をヒントにしたのが、本作における、広大な土地を持つ侯爵家が、小作農民を奴隷のように扱っていたという設定だ。農民たちは限られた範囲のなかで外界と隔絶されて暮らし、時代にそぐわない不当な待遇を受けていた。彼らは外からの情報を得ることができず、子どもたちは義務教育を受ける学校にも行っていない。だから自分たちが前時代的な、人権を無視した労働をさせられているということに気づくこともできないのだ。

 やがて、侯爵家のドラ息子タンクレディの起こしたトラブルによって警察が介入することで、その異常な状況は知られることになってしまう。やってきた警官に「この村の子どもたちは学校に行ってないのか」と問われると、小作人たちは「学校なんて良い家の子どもが行くところでしょ」と返答、警官を驚かせる。その後、この農民たちは助けられ、その土地から離れて街で暮らすことになる。一件落着である。

 ……だが、それで終わらないのが本作だ。それから月日が経って、かつての小作農民たちの姿が映されると、彼らはむしろ、以前よりもみすぼらしく見える。街に定住した後も、彼らは極貧生活を余儀なくされていたのである。

 考えてみれば当たり前のことかもしれない。教育もなく、処世術もなく、人脈もない彼らが、近代的な競争社会のなかで勝ち抜いていけるはずもない。くわえて、イタリアは長らく経済不況の状態が継続していて、経済格差の拡大による貧困率の上昇と、移民の貧困問題を抱えている。本作の農民たちは、イタリアにとっては移民と変わらない存在だ。だからここで描かれているのは、イタリアにおける移民の窮状そのものともいえよう。そしてそれは、世界の多くの国に共通する問題でもある。

1/3ページ

最終更新:4/23(火) 12:48
CINEMORE

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事