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家族3人が消えた日

4/24(水) 5:32配信

九州朝日放送

「待っとけ!じいちゃんが来るぞ!」

洋さんは災害以降、朝倉市内のみなし仮設住宅で母と姉の3人で暮らし始めた。3DKの手狭なスペースには妻と娘と孫の遺影が。

妻の麗子さんは足が悪く、杖や車椅子で生活をしていた。娘の由香理さんは二人目の子どもを授かっていた。翌月に出産を控え、長男の友哉ちゃんと実家に里帰りしていた。3人は2階に避難することができなかったのだ。

3人が自宅の1階部分から見つかったとき、友哉ちゃんを由香理さんがかばうように、そしてその2人を守るように麗子さんが覆いかぶさっていたという。

洋さんはあの日、自宅から4キロほど離れた仕事場の梨農園にいた。
あまりの大雨に仕事を切り上げ、自宅に戻ろうとして車を走らせた。

しかし、道が寸断されて進むことができない。翌朝、洋さんは歩いて3時間かけて、水と食料を持って自宅に向かった。

「黒川に歩いて行ったときに、孫のことを思って歌を歌って行った。『友哉、待っとけ、じいちゃんが来るぞ。』でもあんなことに。まさかとは思ったけど。」

「なんか娘を見ているようです」

九州豪雨から半年が経とうとしていたある日。洋さんは30年以上かけて育ててきた梨の木を減らす決断をした。

洋さんは寂しそうに話した。「仕事が間に合わない。将来に希望がない。」

この梨農園は将来、娘の由香理さん夫婦が継ぐはずだったのだ。

しかし、一人になったいま、土地は広すぎる。

木を切る日。作業を手伝いにやってきたのは福岡県農業大学校の学生や教員たち。
由香理さんが学生時代を過ごした母校だ。

洋さんはその学生の中に作業服を着た一人の女の子を見つけた。「女の子が一人・・・。なんか娘を見ているようです。」洋さんは嬉しそうにつぶやいた。

そして、またひとりに

作業は一日中続いた。思いが詰まった梨の木が伐採されていく。「木を育てるのがどれだけ大変かわかっているので、悔しい思いです。」学生たちは胸を痛めた。

作業後、洋さんは学生たちに感謝の言葉を口にした。
「まさか農大の皆さんが来てくれるとは思いもしませんでした。学生の皆さんはこれから農業の道に進んでいくと思いますが、指導員であろうと、農家の後取りであろうと、自信を持ってがんばってください。きょうは本当にありがとうございました。」

農園を後にする学生たちに、洋さんは何度も頭を下げて見送った。

そして、またひとりに。

洋さんは流れる涙を拭った。

農業とまっすぐな姿勢で向き合う農大の学生たちと由香理さんの姿が重なったのだった。

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最終更新:4/24(水) 9:40
九州朝日放送

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