ここから本文です

「LIFE」ヒット後に借金2億円→自己破産寸前に。元キマグレン・クレイ勇輝の今

4/24(水) 12:10配信

新R25

R25世代のみなさん、「キマグレン」を覚えていますか?

神奈川県逗子市を中心に活動していた2人組のユニットで、2008年には代表曲「LIFE」で『NHK紅白歌合戦』出場を果たしています。

実はその片方のKUREIことクレイ勇輝さんは現在、会社役員でもあるんです。


今回は、アーティストとしてではなく、ビジネスマンとしての彼の素顔と、これまでの壮絶すぎる歩みに迫りました。

〈聞き手=ライター・楳田佳香〉

医学部出身のエリート街道から脱して始めた海の家

楳田:
クレイさんって、正直「キマグレンの人」というイメージしかありませんでした。

まさか会社役員になっていたとは…

クレイさん:
逆です。僕はもともとビジネスマンなんですよ!

23歳のときに自分で会社を立ち上げて、ライブハウスの経営を始めたんです。「キマグレン」はその後なんですよ。

楳田:
そうだったんですか!? 意外です。

起業したきっかけはなんだったのでしょう?

クレイさん:
もともとアメリカの大学の医学部に行っていて、そのあとは日本のスポーツチームのドクターになるはずだったんですよ。

でも、直前で内定辞退して…

楳田:
えっ…アメリカの大学の医学部ってスーパーエリートじゃないですか!

しかもスポーツドクターとして内定も出ていて、それを辞退しているなんて!!

なぜそんな方向転換を?

クレイさん:
就職前に、たまたま地元の逗子海岸で大学時代の後輩と出会ったんです。

彼はすでに某テレビ局のADをやっていて、番組の企画として僕の地元に来ていたんですよ。

そこで進路の話をしたら「勇輝くん、すごくまともな感じになっちゃってつまんないよね」って言われて。

それがすごく刺さりました。

楳田:
安定した人生を送るのが、自分らしくないと?

クレイさん:
僕はもともと水泳選手になりたかったんですけど、中学生のときにケガで泳げなくなっちゃったんです。そこから目的を失っちゃっていて。

大学も特にやりたいことがなかったので、親も納得しそうで、自分もちょっと興味がある、という理由で医学部を選びました

楳田:
(それで医学部に受かるのもすごいと思う…)

クレイさん:
だからその後輩に指摘されて、「たしかになんとなくで進路を決めるのはちげぇーな」って思って。

もともと大きなことをやりたい性格だったし、音楽も海も好きだった。

それで「海の家みたいなライブハウスを作ろう!」って決めたんです。それが「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」の原型。

楳田:
その決断に周囲からの反対はなかったんですか…?

クレイさん:
ありましたね。親には勘当されました。

両親はすごく厳しかったので「医学部までいったのに、そんな適当な理由で辞めるとかいい加減にしろ!! もう出ていけ!!」と言われて…

しばらくは5万円で買い取った中古の「ワゴンR」に住んでいました。

1/5ページ

最終更新:4/24(水) 12:10
新R25

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事