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「世界のどこであっても、必要とされる選手になりたい」久保建英が語る過去、現在、未来【前編】

4/24(水) 12:06配信

GOAL

FC東京MF久保建英。今季、明治安田生命J1リーグで目の覚めるようなプレーを披露している。Goal(世界全37エディション)では毎年「NXGN世界で最も優れた10代50人」という企画を行っており、久保が2年連続でランクインした。日本人選手としては初の選出となる。この日本が誇る逸材の本質を探るべく、話を聞いた。前編はサッカー小僧だったころから、いま、J1の舞台で戦うことについて。【聞き手:川端暁彦】

【動画】FC東京MF久保建英、2019シーズンのプレー集

「生き残っていくには?」と言う問い

――今日は久保建英という選手の「ここまで」と「これから」の両方を語ってもらえればと思っています。まずはサッカーを始めたきっかけを教えてください。

子どもの頃は、とりあえずサッカー漬けでした。もう物心ついたときにはボールを蹴っていて、いつ蹴り始めたのかとか、そういう記憶もない感じです。みんな大体そんなふうに想像してくれるかなと思うのですが、本当にその通りの「サッカー小僧」でした。

――「もっとうまくなりたい!」とかではなく、もっと自然に?

ただただ、サッカーをやっていて楽しかったので、うまくなるとかそういうのではなかったと思います。

――そんな意識が「選手」として変わってきたのは?

転機と言うほどではないのですが、小学校に上がって、周りにうまい子が来たときは、『あの子たちに負けられない。自分が一番になりたい』という気持ちが自然と出てきました。川崎フロンターレ(U-10)に入りましたが、地域のうまい選手たちが集まってくるチームで、そこで遊びのサッカーではなく、「自分がここで生き残っていくには?」ということも、ちょっとずつ考え始めていたと思います。

――そして、バルセロナがやっているバルサキャンプに参加して大きな決断に至ります。

「キャンプでMVPになったらバルセロナの遠征に連れていってあげるよ」と書いてあるチラシを読んで応募したんです。(キャンプは)思っていたより長くて、回数も多くなりました。遠征に連れていってもらって、「これで終わりかな」と思っていたらテストを受けさせてくれるという話が来て、いつの間にかトントン拍子にいろいろなことが進んでいたという感覚でした。

――トントン拍子とはいえ、当時まだ10歳ですよね?

まだ子どもだったので、特に怖いとかそういう感情はなかったんです。ただ単に「何かうまい人たちとサッカーをやれるんだ」という感じでしたね。もう、それだけでした。

――向こうでは日本のやり方や文化とのギャップもあったと思います。

頭を使うことに関して日本人は優れていると思います。戦術理解度というか、言われたことをしっかりやるという意味では日本人のほうが得意だと思うんです。ただ、逆に言われていないことまでやれるという点では、スペインの選手はすごくレパートリーがあるんだなと感じながらやっていました。

――そういう意味で言うと、考え方を向こうに近づけていった感じですか?

どちらかと言うと、「気付いたら変わっていた」という感覚です。向こうの環境でやっているうちに、そこに慣れていったということだと思います。

――当時、一番の思い出は?

地中海カップという大会があって、決勝でゴールを決めてMVPをもらいました。その大会には過去にネイマール選手やコウチーニョ選手も出ていて、「あ、そんなに大きい大会だったんだ」と分かったときは、ちょっとうれしかったです。もらった盾もすごくカッコ良かった。今でも家に置いてあります。

――思い出すと、楽しい記憶が出てきます?

うーん……でも、良いことばかりではなかったです。特に最後のほうは試合に出られなくなってしまったので。試合に出られないのに遠征について行って、チームメートは出ていて、当然、試合には勝っていくわけで。そういうのを見ると素直に喜べない自分もいました。だから、日本に帰って試合に出られているときに、本当に幸せを感じました。

――帰国が決まったときの気持ちは?

最初は本当に帰りたくありませんでした。せっかく向こうの生活にも慣れて、チームにも馴染んでいるのに「なんで?」と。向こうに慣れるまでの時間は当然すごく苦しかったわけですから……。それがまた続くのかという感覚で帰るのは嫌でした。ただ、意外と「住めば都」ではないですが、日本に帰って来てすぐ適応できたので、そこは良かったと思います。

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最終更新:4/25(木) 17:24
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