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マリオに「自力でクリアしてよ」と思っていた──AIそのものをゲームにした世界最高峰のゲームAI誕生秘話──『がんばれ森川君2号』、『アストロノーカ』、『くまうた』制作者・森川幸人氏インタビュー【聞き手:三宅陽一郎】

4/24(水) 11:30配信

電ファミニコゲーマー

 電ファミでは、かねてから「日本のゲームAIの歴史」に迫る記事をお届けしてきた。
 たとえば、ゲームAIの起源と言われる『パックマン』の生みの親・岩谷徹氏や、麻雀にAIを持ち込んだ『ぎゅわんぶらあ自己中心派』の開発者・宮路洋一氏にご登場いただき、彼らの歴史的証言をインタビューの形でまとめている。

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 そもそも、なぜ日本のゲームAIの歴史を電ファミは取り上げ続けているのか──このテーマに心惹かれない方に向け、あらためてその理由をお伝えさせていただきたい。

 発端は、最先端のゲームAI研究者として知られ、数々のAI関連のインタビューの聞き手も務めていただいている・三宅陽一郎氏への以下のインタビューだった。

 かなり大雑把に要約すると、この記事では、それまで世界的に存在感を示していた日本のゲーム産業が、21世紀に入ってからシビアな状況に追いやられたのは、じつは「AI技術の軽視」という問題が側面のひとつとしてあったのではないかということが語られている。

 ゲームの3D化が進むと、2D時代には当たり前だった「すべてスクリプトで動かす」開発手法の前に技術的な限界が立ち塞がったのだ。そこで日本が手をこまねいているあいだに、AIをはじめとする3D時代のための技術や手法が海外で著しい発展を遂げていった経緯がある。

 電ファミが三宅氏とともに「ゲームAI」を取り上げ続けているのは、そうした日本のゲームをめぐるひとつの問題意識による。

 実際、知見の共有が盛んだった海外に比べ、当時の日本のゲームAI界隈はまさに“暗黒大陸”のように閉ざされており、個々の実績がバラバラと点在しているだけだった。

 そのひとつひとつを掘り起こして一本の線で繋げていく作業の果てに、今後の国産ゲームを考えるうえで必要なひとつの道筋が描けるのではないか──大仰に言うなら、そうした意図のもとでコツコツと話を伺って回っているわけだ。

 ……さて、今回取り上げる人物は、このテーマの本丸とも言うべき相手だろう。なぜならその人物は、言わば「AIそのものをゲームに落とし込む」という歴史的にも稀有なゲームを作り、さらに現在は世界で唯一のゲームAIを専門とする会社を立ち上げているからだ。

 その人物の名は、モリカトロン代表・森川幸人氏。

 森川氏は、株式会社ポケモン代表取締役社長の石原恒和氏にコンピューターを教えられたことをきっかけに当時の最先端だったCG技術の道を歩み、伝説のテレビ番組『ウゴウゴルーガ』などで活躍したあと一転して、プレイステーション黎明期の熱気漂うソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)から、『がんばれ森川君2号』、『アストロノーカ』などのAIゲームを送り出している。

 2004年にAI研究者を志してゲーム業界に入った三宅氏によれば、21世紀に入るまでに国内のゲーム史に表立って刻まれたAIに関するテキストと言えば、森川氏が執筆して人工知能学会に掲載されたふたつの論文と、当時「釣り仲間」であったという糸井重里氏主宰のサイト「ほぼ日」に掲載された森川氏の記事程度という。
 そのほぼすべてが森川氏によるのものであったことからも、森川氏の業績がどれほどの凄さか判るだろう。実際、「当時はそれだけが国内ゲームAIの手がかりだった」と三宅氏は言う。

 本稿では、おもに森川氏の手掛けた『がんばれ森川君2号』、『アストロノーカ』、『くまうた』のゲーム開発の様子を伺いながら、その功績にできる限り迫った。前人未踏の領域で氏は何を思い、何を進めていたのか。
 じっくりとご覧いただきたい。

聞き手:三宅陽一郎、電ファミニコゲーマー編集部
カメラ:佐々木秀二

■「森川さんの仕事はいまだに世界の頂点です」

──今日の取材は、以前行った三宅さんへのインタビューが発端となっています。
 それは21世紀の洋ゲー史を「AI」という観点で追うことで、「日本のゲーム産業がなぜ苦戦を強いられていったのか」という命題に対するひとつの回答を浮かび上がらせるものでした。

三宅陽一郎(以下、三宅)氏:
 あのインタビューは、予想以上に凄まじい反響をいただきました。それこそゲーム業界に限らず読まれ、読んでくださった皆さまのAIに対する関心を感じ取れたいい機会となりました。ありがとうございます。

──あのときはおもに海外の状況について語っていただきましたが、そこで唯一、日本国内に残された業績としてピックアップされた論文がありましたね。それが、今日お招きした森川幸人さんが手がけたゲーム、『がんばれ森川君2号』と『アストロノーカ』について、森川さんご自身で書かれた論文でした。

三宅氏:
 『がんばれ森川君2号』や『アストロノーカ』、そして『くまうた』などの森川さんが当時残された仕事は、いまだに世界のゲームAIの頂点なんですよ。もし当時の海外の開発者が森川さんの仕事を見ていたら、それはもう、めちゃくちゃびっくりしたはずなんです。

 ただそのAI技術の情報は、残念なことに英語でも読める形としては、表立って残らなかったので、その後、歴史的には、森川さんの業績は海外のゲームAI技術の文脈とリンクしていかなかった。
 先のインタビューでは洋ゲー史を支えたAIの凄さを語りましたが、僕としては語りながらも「国内にすでにこんな偉業があるのに」という思いで、正直に言って悔しかったんですよ。

──それほどまで。

三宅氏:
 自分はもともと「AIをやる」ために2004年にゲーム業界に入ったのですが、そのときに過去の国内のゲームAIの業績をいろいろと調べても、まるで歴史が見えてこなかったんです。
 当時はいまほど資料も開発者によるコミュニティもなく、基本的にそれぞれの会社の中だけに知見が積もる、閉じていた時代だったので。

 そんな国内の状況に対し、海外では毎年知見がアップデートされ、ネット上でも発言がなされるので、大きな流れがよく見えたんです。ですから僕自身の仕事も、そうした海外の文脈に沿うことになりました。

 そこから見える2004年から2010~11年ごろまでのゲームAIの歴史というのは、おもにFPSを通して語られてきており、その後になってさまざまな分野にスピンオフしていくんです。でも日本ではFPSがほとんど作られなかったので、そのゲームAIの歴史の流れの中に日本はほとんど見当たらないんです。

 その善し悪しはさておき、海外は基本的にひとつのスタジオでずっと同じゲームを作っています。バンジースタジオだったら『HALO』を作っているし、ユービーアイソフトだったら『2』以降の『Far Cry』を作るというように。
 だからこそゲームエンジンの形がちゃんと固まるし、AIもどんどん発展するんです。

──それに対して、日本はどうなのでしょう?

三宅氏:
 日本はゲームごとに新しいゲームデザインを切り拓いていく。すると、そのゲームごとにAIを構築することになるから、なかなか知見が積み上がっていかないんですね。

 そうした事情もあって、海外のFPSを主体とするゲームAIの文脈と日本の多様なゲームデザインの文脈は二分され、いまだに交わっていないと言えます。僕は西洋のゲームAIの流れを受けていまの仕事をしていますが、もうひとつのアイデンティティとして「日本のゲームデザインを主体とするゲームAIの流れ」を打ち立てたいんですね。
 それをしないことには、日本らしさの上に成立するAIの開発というのはできないと思うからです。

 なぜそうした日本のゲームデザインに即したAIを求めるのか。これは僕がゲーム業界に入ったときもまさにそうだったんですが、そうしたものがないと、若い人が何をやっていいのかが全然判らないんですね。

 たとえば、CGの技術だったら、CG技術の最先端までの流れというのは、SIGGRAPHやゲームカンファレンスで可視化されていますので、社会人1年目でも解るようになっていたり、それこそその彼らが最先端に突っ込まれたりしています。

 それに比べてAIは、流れのない状態で「ぽつん」と取り残されている状態。AI研究の全体像を追っても、日本のゲームデザインとはまた違った海外の話ばかりで。FPSを作るというのなら、それでいいんですが。

──だからそこで、日本的なゲームAIを考えるうえで欠かせない足跡を残された森川さんに、今日はお話を伺おうということですね。

三宅氏:
 ええ。森川さんは国内ゲームAI史の出発点のような存在なんです。というのも『がんばれ森川君2号』や『アストロノーカ』って、言ってしまえばAIそのものをゲームにしたもの。

 ゲーム内のAIに学習を与えるプレイヤーですら、ある意味大きなAIの一部として組み込まれている。そんなゲームはそれまでも、そしていまなお、ほとんどありません。

 森川さんの仕事の凄さはそれだけじゃありません。たとえばAIのひとつである「ニューラルネットワーク」って、歴史的にはそもそも「分類器」として発展していったものなんです。

 「身長や体重などのデータを入れると健康かそうでないかが判る」というようなイメージですね。
 ただそれをリアルタイムに動作する「知能」として扱う発想自体は、いまとなっては当然なんですが──『がんばれ森川君2号』以前にはそこまでのものがなかったことだったんです。少なくともゲームタイトルの実装例は見当たらなかった。

──『がんばれ森川君2号』は普遍的なAIの歴史の中でも異質なゲームだったわけですね。
 今日はそれらを手掛けた森川さんという人物を知る場であると同時に、日本のゲームAIそのものを知る場でもありますので、記録として残す取材にできればと思っております。

■世界で初めてゲームAIを専門に扱う会社・モリカトロン

──森川さん、お待たせしました。

森川幸人(以下、森川)氏:
 よろしくお願いいたします。

 いきなり話がズレちゃうんですけどいいですか?(笑)
 いま三宅さんの話を聞いて思い出したんですが、その昔、プレイステーションのブレイクのおこぼれで、僕の作ったゲームについてたくさん取材を受けていた時期があったんですね。でも当時って、AIについてどれだけ熱心に語っても、その部分だけ必ず全部カットされちゃっていて。
 だからじつを言うと、誰も話を聞いてくれないものだから、ふてくされちゃって、AI関係の仕事はずっとほっぽらかしていたんですよ。

──今日は存分に語っていただければと思います(笑)。ただ、森川さんの仕事は、ゲーム業界よりもむしろアカデミズム方面で評価を受けている印象があります。

森川氏:
 そうそう。AI学会や人工生命学会などからは、結構声をかけていただいていて。あとは、僕のところまでわざわざ話を聞きに来ていただいた熱心な方がいて。……それが三宅さんだった(笑)。本当に誰も話を聞いてくれなかったので、あのときは嬉しかったですよ。

三宅氏:
 いやいや……そもそも森川さんの作ったAIに関する読みものって、当時は「ほぼ日」のコンテンツや、CEDECの短いインタビューがあるだけで、あとはすべて論文なんですよね。

 でも当時はそうした論文がゲーム業界から現れたこと自体がセンセーショナルでした。僕はAIをゲームに応用しようとして2004年にゲーム業界に入ったのですが、森川さんのゲームだけがずっとお手本だったんです。
 いまも「ゲームAIの開発をした経験を論文にしていく」ということを繰り返しているんですが、それは完全に森川さんの影響なんです。

 「森川さんのように、自分の仕事を論文にすることで日本のゲームAIの歴史を作っていくんだ」という思いからなんですね。ゲームAI研究者の僕にとって、森川さんはヒーローなんです。だからお話を聞きに行ったのは極めて自然なことで。

──なるほど。そして、その森川さんご自身も研究をずっと続けており、現在は世界で初めてゲームAIを専門に扱う会社・モリカトロンを立ち上げられています。今日はそんなモリカトロンの中核メンバーにもお越しいただいているので、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか?

成沢理恵(以下、成沢)氏:
 では私から。モリカトロンでは取締役を務めている成沢です。

 もともとはスクウェア・エニックスに15年いて、『ドラゴンクエスト』や『ニーア』シリーズなどのプロデュースで有名な齊藤陽介さんの直属の部下としてプロデューサーをしていました。たとえば『ファイナルファンタジーIV』、『V』、『VI』のスマートフォン版や、『ドラゴンクエストの不思議のダンジョン』のモバイル版を始め、オリジナルタイトルなども作ったり。

 いまはモリカトロンを始めとした、12社ほどのゲーム会社の役員や顧問をしています。

 森川さんとの関わりは、入社後すぐの、齊藤さんがプロデュースしていた『アストロノーカ』の制作から始まり、その後継作である『コスモぐらし ~オンライン的野菜生活~』(2003年・PC)で齊藤さんから『アストロノーカ』の魂を引き継いでプロデューサーを務めたところからです。ですからもう何十年ものお付き合いですね。

──本城さんはどういったご経歴なのでしょう?

本城嘉太郎(以下、本城)氏:
 もともと僕はゲーセン少年で、19歳のころに『ウルティマオンライン』や『ディアブロ』に出会ってしまってからはずっと「オンラインゲームを作りたい」と思い続けた人生で。

 最初はフリーのプログラマーとしてサーバー構築をしたり、開発会社で5年ほど『バイオハザード0』などのコンソールゲームを作ったり、コナミの『S.L.A.I.』などのオンライン対戦部分のコーティングをしていました。

 それからオンラインゲームを作るために起業して、大手メーカーさんのゲームタイトルを受託で作りつつ、自分たちでもガラケー初のフルボイス乙女ゲームを作ったり、mixiアプリやモバゲーのオープン化のタイミングで自社タイトルをリリースしたり、その後のスマホ時代はリアルタイム通信エンジンなどを提供したりしています。

 ……とまあ、そんなふうにプログラマーをかれこれ10年以上やっていたんですけど、気がつけば会社の経営のほうがプログラマ歴より長くなりまして。何より森川さんのファンだったこともあり、いまはお手伝いさせていただいています。

──なかなかにディープな経歴ですね。本城さんには森川さんから声をかけたのですか?

成沢氏:
 ある晩、森川さんと私で話しているとき、ゲームAIの専門会社を作るにあたって「森川さんが研究をし、私がプロデューサーや営業、交渉をやるとしたら、あとはプログラムが解って、かつ信頼できる経営者がいないとダメだね」という話になり、その条件を満たす人で最初に思いついたのがこちらの本城さんでした。

 夜中の1時ごろに「話があるんだけど」と本城さんを呼び出し、3人で集まって、その場でモリカトロンの立ち上げがパッと決まったんです。

本城氏:
 最初、僕はアルバイト社長で「経営だけ見ます」みたいな感じだったんですけれど……(笑)。

成沢氏:
 プロデューサーとしては、最初からどっぷり入ってもらう気満々でした(笑)。

──(笑)。皆さんで立ち上げられたモリカトロンの話は、後半でじっくり伺えればと思います。

■ゲームは「ほとんどやっていない」

──さて、ここから本題に入ります。
 まずお伺いしたいのは、森川さんがあの伝説的なテレビ番組『ウゴウゴルーガ』にCG担当として関わられていたことです。『ウゴウゴルーガ』って、3DCGのバーチャルスタジオを使ったりCGキャラクターの動きが会話と同期していたりなど、当時のCG表現の実験場としても機能していた、かなり尖った子ども向け番組ですよね。

森川氏:
 きっかけは、株式会社ポケモンの社長、石原恒和さんだったんですよ。

 石原さんは大学時代のふたつ先輩で、すごくお世話になっていたんです。僕は彼の影響でコンピューターを知り、CGを始めた。とはいえコンピューターといっても、当時美大生だった僕にとっては「絵が描ける機械」でしたが(笑)。

 そういう経緯からコンピューターに触れていたので、『ウゴウゴルーガ』に至るまでずっとCGを描いていたんです。

 その後ゲーム業界に関わったのも、1994年の35歳になってから。それもとくにゲームが作りたくてゲーム業界に入ったわけじゃなかった。それまでに遊んでいたゲームも『ゼビウス』と、あと『ドラゴンクエスト』ぐらい……という感じでほとんどやっていませんでしたから(笑)。

──ビデオゲームにはそこまで関心がなかったんですね。なぜそんな「ゲームに興味のない」森川さんが、ゲームを作ることになったのでしょう?

森川氏:
 当時はプレイステーションの立ち上げの時期で、そのどさくさに紛れ込んだんですよね。

 というのも、あのときはその少し前に登場した3DO【※1】の影響で「家電メーカーが出すゲーム機は……」という空気があり、PSは「ゲーム業界の人以外」に声をかけざるを得なかったみたいなんです。そういうわけでか声がかかり、ゲームを作りたいわけじゃなくても、業界にひょこっと入れちゃった。

 実際に『せがれいじり』の故・秋元きつねさん、『バスト ア ムーブ』の田中秀幸さん、『びっくりマウス』のうるまでるびさんなど、当時の『ウゴウゴルーガ』のメンバーもその後、ゲーム業界に流れて来たり関わったりしましたからね。

──PS黎明期の、ある種の猥雑な状況の中に紛れ込んだわけですね。ゲームを作っている最中に、そうした「ゲーム畑じゃない」というギャップは気にならなかったのでしょうか?

森川氏:
 まったくありませんでしたね。

 というのも当時の僕らは、プロデューサーがとにかくおだてて「アーティスト」として扱ってくださって、木に登らせてくれたんですよ(笑)。

 ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)は、もともと音楽のソニー・ミュージックエンタテインメントが母体の会社だったから、完全に「アーティスト」と「プロデューサー」のような関係性でゲームを作っていたんです。

──そうした音楽業界の血筋から、現在に繋がる音ゲーの祖と言われる『パラッパラッパー』も生まれたわけですしね。まさに森川さんの作られたゲームがそうですが、あのころは従来のゲームの文脈に依らない異質なゲームが多かったように思います。

森川氏:
 ただ、そうしたものづくりの雰囲気って、僕がフジテレビの深夜番組で『IQエンジン』なんかに参加していた時代もまったく同じなんですよ。
 それまでテレビは24時で放送が終わっていたものだったんですが、「景気が良くてもっと広告が取れるから」という理由で、当時は各局がちょうど放送時間を深夜まで伸ばしていった時代だったんです。

 すると、いままで枠のなかった時間帯ですから、「誰が観るのか」、「何をするのか」、「どういう番組を作ればいいのか」……そういうことがまったく判らないわけです。
 「だったらもう、みんなで楽しいことをやっちゃえ」というようなノリが、当時の深夜番組にはありましたね。それが最後には『ウゴウゴルーガ』のような子ども向け番組にまで波及していくわけですが(笑)。

 PSの立ち上げもまったく同じ雰囲気で、ソニーさん自体がゲームを作ったことがないし、寄せ集めたメンバーもゲーム経験がないから、みんなでなんとなく未経験のまま勢いだけでやっちゃえた。
 深夜番組とまったく同じノリで、僕らの仲間はあのときゲーム作りに向かっていったんだよね。

──その猥雑さが当時は本当に目新しく、CD-ROMという新しいメディアとあいまって、「ああ、ゲームに新しい時代が来た」という実感に繋がっていたと思います。

■マリオに「自力でクリアしてよ」と思っていた

──そうした経緯で、最初に手がけられたゲームが『がんばれ森川君2号』だったと。そもそも何がきっかけで「AIのゲーム」を作ろうと思ったんですか?

森川氏:
 まず、「やらなくていいゲームを作りたい」と思ったんですよ。いまで言う「放置ゲー」みたいなものなんですが……当時は誰もそのコンセプトを解ってくれなかったんです。
 20年前に「こういうのがやりたい」と言ったときは、会議室が凍りつきましたね。「何を言っているんだ、この男は」と(笑)。

──(笑)。さすがに「やらないゲーム」というのはいまでも衝撃的な発言だと思いますが、なぜそうしたものを作りたいと思ったんですか?

森川氏:
 僕がそんなにゲームをやらないタイプだったから(苦笑)。
 そういう意味で、僕がひとつだけずいぶん感心したゲームがあるんです。それは石原さんに勧められた『Little Computer People』。
 おっさんが画面の中に建てられた家で、ただ寝ていたり音楽をかけたりお風呂に入ったりトイレに行ったりするのを眺めているだけのゲームなんですよ。そうやって24時間、コンピューターの中の人がまるで生きているかのようにずっと動いているというのが、当時の僕には凄まじく衝撃的で。いま思うとまさに「やらなくていいゲーム」だったんですよ。

三宅氏:
 『がんばれ森川君2号』は『Little Computer People』の影響下にあった……腑に落ちるものがありますね。

森川氏:
 あと、僕は『スーパーマリオブラザーズ』をやりながら、「なんでいちいち最後のステージまで操作してやらなきゃいけないの? こっちはお金を払っているのに」と思っていたクチなんですよ(笑)。

 というのも、「World 1-1から1-3まで動かしながら、土管とは何か、亀とは何かということをずいぶんキミ(マリオ)に教えたはずだ。だから、後のステージぐらい自分でやってくれよ」という不満を持っていたからで。
 そんなことを思っていた矢先に、何かの折に第二次AIブームの残り火のような記事を読み、「これだ!」と思って「AIを使ってキャラがパズルを解くゲーム」の企画書を出したら、あっさり通っちゃって(笑)。

──ゲームもAIも、そのときはまだ作ったこともないわけですよね?

森川氏:
 それどころか、知識すらろくにないわけです(笑)。だからそこからの半年間は、ずっと数学の勉強をしていたんです。
 まずは新宿の紀伊國屋書店で、当時まだひと棚の3段ぶん程度しかなかったAI関係の本をとにかく全部読んで。

 ですからミーティングをするたびに「今週もAIのことを勉強しました」というような報告をずっと続けていましたね。
 いまとなってはどうやって上を納得させていたのか謎ですが、僕に付き合わされたプロデューサーはたまらなかったでしょうね(笑)。

──(笑)。森川さんは芸術専門学群のご出身ですよね。すると数学を学んでいたのは高校までですよね?

森川氏:
 ですから大変でしたね。AIは工学系の分野なので、高校とは数学の質が違うんですよ。

 大学1~2年あたりの多変量解析までやっていれば、ニューラルネットや遺伝的アルゴリズムなど第二次ブームのAIまでは理解できるんですけどね。ちなみに、いまの第三次ブームのディープラーニングなどになると、大学4年の変分法が解らないと本質的には理解できなかったりします。

 じつは、その後の『アストロノーカ』や『くまうた』も含め、アイデア自体はその半年のAIの勉強をしているあいだにすべて出ていたものなんです。結果的に作る順番があっただけの話で、着想はすべてほぼ同時なんですよね。

──つまり、AIというものを勉強しながら「これをどうゲームにしよう?」と考えて産み落とされたのが、『がんばれ森川君2号』、『アストロノーカ』、『くまうた』の3作品だったということですね。

森川氏:
 そうですね。僕にとって「ゲームを作る」のは、「AIを使って何かしたい」ことに対する口実だったわけです(笑)。

──なるほど。

■脳の入れ替えという発想力──『がんばれ森川君2号』

──ここからそれぞれのゲームの話をしていだたく前に、前提として、三宅さんにAIの定義について伺っておきましょう。AIにはいろいろな定義があると思いますが、これらの森川さんの仕事はどの程度AIと言えるのでしょう。

三宅氏:
 まず、現在の極めて狭い定義で言うと、第三次ブームから入った方の中には、「データの上のディープラーニングだけがAI」という立場の方もいらっしゃいますね。
 そうすると、たとえば1996年にチェスの世界チャンピオンに勝ったディープ・ブルーは、学習型ではなくて完全に人間がプログラムを書いているので、狭い定義ではAIではないことになるんです。

 意外かもしれませんが、学習というのは最近までそこまで主流の考えかたではなかったもの。ところが、ディープラーニング以後は、いわゆるビッグデータがあって、そこから学習をしたものだけがAIということになっています。

 ですが第二次ブーム当時の定義は真逆で、むしろ人間がたくさんルールを書いていたものをAIと呼んでいました。
 ですから昔から携わっている方ほど、ゲームAIは「ルールベース」のイメージがあって、第3次ブーム以降にAIを始めた方には「学習がないとAIとは言わないでしょ?」という立場の方が多いですね。
 AIはじつに多様な技術を含んでいるので、どちらにしても狭い定義だとは思います。ただ、批判しているわけではないです。AIを定義することは、とても難しいことですから。

──なるほど。すると、第三次ブームのAIの定義を踏まえても、『がんばれ森川君2号』と『アストロノーカ』のふたつはAIと呼べそうですね。

三宅氏:
 そこが凄いところなんです。森川さんの仕事は第二次ブームの御三家と言われた「遺伝的アルゴリズム」、「ニューラルネット」、「エキスパートシステム」がゲームとしてスピンオフしてきたものという捉えかたもできるし、第三次ブームの起点だと位置付けることもできる。そんなゲームはいま現在もほとんどないのに、それを1990年代後半の時点で成し遂げているわけです。

がんばれ森川君2号

 1997年5月23日にソニー・コンピュータエンタテインメントから発売されたプレイステーション用ゲーム。

 プレイヤーはPiT(ピット)と呼ばれるロボットを育成し、箱庭が集まって形作られた“ワールド”上に散逸している「AI-CHIP」を集めていく。

 PiTは箱庭内の生き物やオブジェクトに対して基本的に12種類の行動をからひとつ取る。そのひとつひとつに正解/不正解は存在しないが、PiTが取ったアクションに対してプレイヤーは肯定・否定の評価を下し、PiTを教育していく。

 「ワールド8」と呼ばれる特殊なワールドでは、それまでの教育を踏まえたPiT自身の判断能力のみでクリアを目指す。

 『がんばれ森川君2号』では、ニューラルネットワークが使われていますよね。なぜこれを採用したのでしょう?

森川氏:
 そこには先ほど言った、全自動でクリアする『スーパーマリオ』のイメージがあり、「キャラクターの自律的な行動」を実現したいと考えたからなんです。

 僕はニューラルネットワークも、遺伝的アルゴリズムも、強化学習も、エキスパートシステムもすべて勉強していたので、「その目的に対してはニューラルネットがいちばん適切だな」と自然に思ったんですよ。
 ただ、当時のPSのメモリーって2MBなんですが、そこにニューラルネットワークなんてものを載せたら完全に容量が足りず……そこが制作上の難点でしたね(笑)。

 ただ、じつは学術的なニューラルネットワークの使いかたとは、違ったことをしています。たとえば「AIに天気予報をさせたい」と思ったら、普通は与え得る限りの気象データを事前に一斉に教えるんですが、僕は「その学習過程そのものが面白い」と思っていたので、「少しずつ教えていく」という手順を踏ませる必要があったわけです。
 でもそういう追加学習というものは、普通のニューラルネットワークに仕込もうとすると、途中で脳が「ひきつけ」のようなことを起こしてうまくできないんですよね。そこで当時、そうした追加学習の過程を実装した例を探してみたんですが全然なくて……「もう作るしかない」と思って自分でゼロから開発したんです。

──「学習過程」そのものの面白さに着目するのは、なかなか斬新な発想というか、ゲームならではの発想というか。

三宅氏:
 その結果、『がんばれ森川君2号』の学習は、アカデミズムにおける学習とは「学習曲線」がまったく違うものになっているんですよ。

 通常のAIの学習の、時間に対する学習量の傾きをグラフで表すと、普通は一気に90パーセントぐらいまで立ち上がって、後は長い時間をかけて90から100に向かっていくんですよ。
 このとき、このAIを利用する人も、できるだけ早く正解付近にたどり着きたいので、傾きは垂直に近ければ近いほどいいわけです。
 でも、それをそのままゲームに落とし込むと、最初の5分で頭が良くなり、あとの60時間は教える面白さがまったくなくなってしまうわけです。だから『がんばれ森川君2号』の学習曲線はとてもなだらかなんです。

──「できるだけ早く100に近づける」ことを理想とするアカデミズムとは、まるで発想の基準が異なるわけですね。

三宅氏:
 そもそもAIを「ゆっくり成長させる」という必要なんてアカデミズムにはありませんからね。
 ゲームというのは、「アクション」のひとつひとつに対して「楽しい体験」をユーザーに返すものですが、『がんばれ森川君2号』だとそれは「学習」と「自動化」にあたるわけです。

 だから「学習のどの部分をユーザーに任せるのか」、そして「どこをAIで自動化するか」ということをゼロから考えていく必要があるわけで、森川さんの作るゲームでは、そうした「AIのダイナミクス」と「ゲームデザイン」がものすごくうまく融合しているんです。それができる人は、現在でもなかなかいません。

森川氏:
 当時は、ニューラルネットワークの中の関数をひとつひとつ自分で理解してフルスクラッチで組んでいて、だからこそ逆に調整することができたんですよ。いまのようにそこをミドルウェアに任せてしまうと、「どこをいじったら気持ちのいい曲線になるか」なんてきっと判らないと思います。

──ちなみにニューラルネットワークでの関数いじりって、どういう風にするんでしょう。まったくイメージが湧きませんで……。

森川氏:
 たとえるなら、パソコンを10台並べてそれぞれに脳を入れ、それぞれをチューニングしながらニューラルネットの学習をグルグル回し続けるイメージです。そこから「この脳がいちばん理想的な学習曲線を描いているな」というものを見つけ出す──そんな作業を延々とするわけです。

 そこで重要だったのが、過学習が起きたときのためにバックグラウンドで利用していた別の脳。あまり学習が進まないときには、そっとメインの脳と入れ替えていくんですね。
 気分はもうマッドサイエンティストですよ(笑)。

──「別の脳」というのはどういうものなんでしょう?

三宅氏:
 僕が関わったタイトルでも盛り込まれている手法ですね。

 ゲームAIってあらかじめ出来上がりのパターンをいくつか用意しておくことが多いんです。
 そのうえで、ゲーム進行のそのときどきの状況に応じて、プレイヤーの「体験の楽しさ」が最優先されるように、中身のパターンを入れ替えたりするんです。
 それってアカデミックからしたら「学習」とは呼べないんですが、ゲーム体験としては「学習だ」と感じさせることができる。

 むしろアカデミックな方面からゲームAIに携わると、「このアルゴリズムを入れたら「学習」と呼べる」というような部分にこだわりがちで、何かの問題に直面したときも、つねにアルゴリズムの中で解決しようとしちゃうんですよね。でも別にそこはプレイヤーからしたらどうだっていいわけですよ。

 森川さんの発想が凄いのは、そうした問題に直面したときに、パッと「じゃあ脳を入れ替えればいいじゃん」と考え、アルゴリズム以外の部分のインチキで解決しちゃうところなんです。そこには、アカデミックな理解や技術の工夫というよりも、ゲームデザイナーとしての高度なセンスが求められるんですよ。

森川氏:
 それで言うと、よくモリカトロンに「ディープラーニングを使えないか」というような相談がくるんですよね。

 たとえば「ゲーム中での3週間ぶんの学習を作りたい」というオーダーだったりするんですが、それってユーザーをゲーム中で3週間待たせるわけで、実際にはユーザーは1秒も待ってくれない(笑)。

 それくらいゲーム体験ってユーザーからの厳しい要求を前提にしているものなんですが、その感覚って、ゲーム畑以外の人にはなかなか解らないものなんだと思いますね。

──お話を伺っていると、AIの知見とゲームデザイナーとしてのセンスが高度な次元で融合していないと、やはりゲームAIそのものをゲームにすることなんてできないだろうなと確信します。

■そこにAIがあると気づかない──『アストロノーカ』

──そんな『がんばれ森川君2号』の1年後、1998年に『アストロノーカ』を出されていますね。今度は「遺伝的アルゴリズム」が使われていますが、どういうところから着想を得たのでしょう?

アストロノーカ

 1998年8月27日にエニックス(現・スクウェア・エニックス)から発売されたプレイステーション用ゲーム。

 宇宙農家(アストロノーカ)である主人公は、宇宙野菜の育成、交配による品種改良をすることで「全宇宙野菜コンクール」での優勝を目指す。

 プレイヤーはその過程で、害獣である“バブー”から野菜を守るため、畑の前にトラップを仕掛けて退治をする。

 このバブーにはAIが搭載されており、同じトラップには引っかかりにくくなるような学習や進化をしてしまう。そのためプレイヤーは、バブーの進化に応じてさまざまなトラップを駆使していかなくてはならない。

森川氏:
 『アストロノーカ』の着想はすごく明確です。当時、東京の“夢の島”という廃棄物でできた島にハエが湧いて問題になっていたんですよ。
 ハエが出るたびに殺虫剤を撒くんですが、やがてそれに耐性を持つハエが現れ、次の年はもっと強力な殺虫剤を撒いて……といういたちごっこになっていたんです。

 その話を知ったときに、「これってモンスターの進化じゃん」と思ったんですね。
 そこで殺虫剤の代わりに、「人間が仕掛けたトラップに対してモンスターがどんどん耐性を付けていくゲームがあったら面白いんじゃないか」と思ったのが発端。
 どうせなら耐性だけじゃなく、キャラクターによっては「迂回する」だとか「飛び越す」のような回避方法などの思考も賢くなったら……と考えたときに、「じゃあこれは遺伝的アルゴリズムが使えるな」と思ったんですね。

──着想した森川さんは凄いと思いますが、ある意味自然な流れなのは解ります。三宅さんから見て、『アストロノーカ』はどういう点が優れているのでしょう?

三宅氏:
 ちょっと言葉が悪いんですが、『がんばれ森川君2号』ってAI好きの人は「この中にニューラルネットワークが入っている!」と思って楽しめるものですが、それがAIだと知らない人にとっては面白さがちょっと解りにくい面もあったと思うんです。
 ところが『アストロノーカ』は、プレイヤーの中にAIという文脈がまったくなくても、ものすごく面白いゲームなんです。いまだに遺伝的アルゴリズムで作ったゲームとしては、これを超えるものは出てきていないと思いますね。

──どういうところを面白いと思いましたか?

三宅氏:
 面白さの軸を生んでいるのは、このゲームでは「野菜を育てる」という目的の部分なんです。

 ユーザーは丹念に野菜を育てているので、それを害虫のバブーに食われると超悔しい(笑)。
 そして、だからこそもっと高度なトラップを設置するんだけど、するとバブーがまた賢く進化していく……と、まさにいたちごっこの中に面白さのループが作られていくんですね。

 そうしたゲームデザインにおけるサークルの中に、AIの原理が組み込まれている点がじつに革新的ですね。それがあまりに自然すぎるため、プレイヤーは「そこにAIがある」とはまるで気づかないし、気づかなくても構わない。
 僕は「ゲームAIとはそんな自然さであるべきだ」とこのゲームを通じて思ったんです。

森川氏:
 僕としても、「ゲームとAIの機能がいちばん自然にマッチしたな」という手応えのある作品でした。

 いまだとソーシャルゲームに農業ゲームのようなものっていっぱいありますが、当時はそういうゲームは存在していなくて。そのあたりのアイデアがパッと浮かんだときは、自分で「ひょっとして俺、天才かも」と思ったくらいなんですが……その後の世間の評価で、「やっぱり違うな」と思い直しましたね(笑)。

三宅氏:
 いやいや、あれは天才的な仕事ですって(笑)。

■キャラ設定の資料は「たった1枚」

──先ほどの自己紹介で話されたように、成沢さんが森川さんに出会ったのも『アストロノーカ』の制作のときだったんですよね?

成沢氏:
 そうですね。当時、上司の齊藤陽介さんが『アストロノーカ』のプロデューサーをしていて、入社したてで緊張しながら同行した打ち合わせで『アストロノーカ』のキャラクターの仕様書を見せてもらったときは、本当に衝撃的でした。

──いったいどんな仕様書だったんですか?

成沢氏:
 エクセルのシート1枚だけだったんです。

 ほかのゲームって、敵が100種だったら100種類ぶんなど、キャラクターの数ごとに全部設定があり、資料があるのが普通なんですね。
 だから『アストロノーカ』には1000体近くの、色も形も違えばトラップの避けかたも違うバブーが出てくるので、当時の私は何百ページもの設定資料があると思っていたんです。

 ところがそこにはベースの20体ぶんについて書かれたエクセルのシート1枚があるだけで、「あとはすべて遺伝子の掛け合わせで作るんだ」と言われたんです。それが森川さんと、ゲームAIとの出会いでした。

──野菜もバブーも、AIが無数に生み出しますよね。

成沢氏:
 だから『アストロノーカ』って、終わりがないゲームなんですよね。

 遊び応えがとんでもなくあるし、「ハマるってこういうことだよな」と思うぐらい延々とやっていられるんです。ずっと野菜を作ってバブーと戦い続けることだってできるし、「もっとこういう野菜作りたい」という追求もできるので。

 当時はとくに、「ちゃんとしたエンディング」のあるゲームが多かった時代です。そんな中、もちろん一旦の終わりはあるにせよ、当時の森川さんはきっと「このAIを使ったゲームに終わりなんていらない」という気持ちで『アストロノーカ』を作ったんじゃないかなと思っています。

──それはAIだからできることですね。

成沢氏:
 自分のペースで遊べることもよかったと思うんですよ。いろいろなゲームで遊んでいると「ゲームデザイナーが考えた世界」に自分の感覚が合わないときなどもありますよね。でも『アストロノーカ』は、その遊びの幅を自分で調整できる。この幅の自由さこそ、ゲームAIの魅力だと思います。

三宅氏:
 『アストロノーカ』って、プレイヤーは罠を置いた後は、基本的にゲームを放置するしかないんです。体験をあそこのみに絞って踏み切ったのって、凄いことだと思いますね。

森川氏:
 じつはそこは「いろいろなプレイをしたい」というリクエストもやっぱりあったんですよ。たとえば「Aボタンを押すと動くパンチングマシーンで、バブーを倒したい」というようなトラップの種類の追加要望とかね。でもそういうものはすべてカットしました。

成沢氏:
 あれは「ギャンブル的な面白さ」だと思うんですよね。AIの中身を知らない人にとっては、『アストロノーカ』はほとんど「お祈り」に近い体験なんですよ。
 「野菜が食べられませんように」という祈りとともにトラップを設置し、食べられちゃったら「アチャー」となる。毎回、どうなるかわからないこのドキドキが繰り返されていくのが面白いんです。

■エニックスのデバッガーの活躍

──「祈り」のゲームというお話ですが、そうしたギャンブルのような面白さって、少しでも理不尽さを感じたら嫌になってしまう。そこに「AIで作ると難しい部分」があったんじゃないかと。

森川氏:
 制作過程で印象的だったことがありましたね。

 あるとき、バブーの知能がプレイヤーが持っているトラップの強度を超えちゃうことがあったんです。そうすると、どんなトラップを仕掛けてもバブーの侵略を阻止できないわけですよ。
 テストプレイでそれが発覚したときは、「じつに困ったなことになったな」と思いましたね。ところがある日、デバッガーのひとりが「一旦トラップをすべて外す」ことでそれを解決しちゃったんですよ。

 動物って羽やしっぽなど、その種で使わない機能は遺伝を繰り返すうちに退化していくじゃないですか。じつは、そういう退化していく要素を評価関数の中にあらかじめ入れておいたんです。
 すると、一度トラップがない状態を経験すると、一気にバブーの能力が下がるんです。その影響で、すでに突破されていたトラップでも、突破できなくさせることができたんです。

──そんな攻略法が。

森川氏:
 当時の取材で僕は「狙ってやった」みたいに偉そうに答えていたんだけど、じつはそれを発見したのは優秀なデバッガーさんだった。
 そのほかにもいろいろな発見や改善を見つけてくれたので、このゲームは「デバッガーに育ててもらった」と言っても過言じゃないですね。

成沢氏:
 当時、エニックスのデバッガーさんはかなり特殊だったんですよ。

 ゲームは内製せず基本的にはプロデューサーしかいない会社なんですが、本当に不思議な会社で、デバッガーさんだけはなぜか内部に抱えているんです。
 しかも彼らはもの凄く優秀なことで有名で、開発が仕様書もすべて彼らに開示する代わりに、彼らがゲームの本当に深い部分にまで頭を使ってくれるんです。

 「こうしたほうが面白くなる」というような提案までしてくれるので、デバッガーの数だけプランナーの数が増えているみたいな感じです(笑)。

 だから森川さんの言うとおり、『アストロノーカ』はエニックスじゃなければあのクオリティにはなっていなかっただろうと思います。

──ちなみに遺伝的アルゴリズムって、かなり試行回数を重ねないと学習が進まないものだと思うんですが、これも裏で同時に別の脳を回していたりするんでしょうか?

森川氏:
 そうですね。表面的には毎日バブーが1匹やって来るんですが、前日来たヤツの次の世代が来ているわけじゃなく、じつは裏で最低でも10世代くらい世代交代していて、その中の、もっとも優秀な1匹が現れるわけです。そのとき「あまり進化していなかったら、もう少し回したものを出す」というような調整はしていますね。

三宅氏:
 これも正直に作るんだったら、プレイヤーの目の前で10世代ぶんなどを回さなきゃいけないわけですよ。

 それに対し、「バックグラウンドで回しておきつつ、表面的に進化を体感させればいい」と考える──ここがまさにゲームAIなんですよね。
 プレイヤーにとって重要なのは、プレイヤーの感じる敵の進化の度合いが毎回だいたい同じになることなので、その感覚を実現するために裏で進める計算の回数を変えているわけです。

──そのあたりの考えかたは、まさに『がんばれ森川君2号』と同じですね。学習過程そのものをエンターテイメント化したときに、アカデミックに正直なやりかたにこだわる必要はないし、むしろうまい「インチキ」を考えるほうが重要なんだと。

■『くまうた』制作秘話

──『くまうた』についてもお伺いしたいです。これは自動生成でAIとは少し違うかもしれませんが。

くまうた

 2003年10月25日にソニー・コンピュータエンタテインメントから発売されたプレイステーション2用ゲーム。

 宇宙移民が愛する「宇宙演歌」の中でもさらに先進的な「シュールレアリスム演歌」を、未来の地球で「白くま」が歌う。

 プレイヤーは、弟子であるくまが作ってきた歌詞にダメ出しをすることで、好みの詞の曲を作り上げられる。

 音声合成システムを搭載しており、作成した歌をくまが歌うシュールな姿が鑑賞できる。

森川氏:
 これは、くまが自動生成で演歌を歌うゲームですね。
 最初に自動生成した歌詞に対して、プレイヤーが「全部なってない」とか「この一行だけなってない」というふうに、気に入らない箇所を指摘する。すると、くまが作り直してくるんです。

成沢氏:
 これは音声合成で歌いますが、初音ミクのブレイクよりも4年早くて、森川さんは「美少女でやればよかった。くまじゃダメだった」とよく冗談で言うんですけども(笑)。
 ……ただ、私はこのシュールな雰囲気がもの凄く好きなんですよ。このゲームを遊んでいると『ウゴウゴルーガ』を思い出します。

三宅氏:
 でもAIが積まれているのが、『がんばれ森川君2号』はPiT君で、『アストロノーカ』ではバブーと人外が続いていたので、そこは「キャラ育成AIゲームの歴史的」にはくまじゃないとダメだったんだと思いますよ。

森川氏:
 ああ、なるほど。じゃあ、演歌が間違っていたんだな(苦笑)。

一同:
 (笑)。

三宅氏:
 これは歌詞にダメ出しをするゲームですが、じつは育成ゲームのルーチンそのものがAI的なんですよね。この「基本的に好きにさせておいて、ダメ出しをする」というのはニューラルネットや遺伝的アルゴリズムでやってきた発想の応用なわけですよ。

──すると『アストロノーカ』ってダメ出しをしているんだけど、プレイヤーにその感覚がないのが逆にうまかったわけですよね。『くまうた』はアルゴリズムとしては何を採用されているんですか?

森川氏:
 もともと遺伝的アルゴリズムを使おうと思っていたんだけど、結局、これは遺伝的アルゴリズムとかニューラルネットワークのような既存のAIモデルは使っていないんですよ。

三宅氏:
 いままで『くまうた』のアルゴリズムは世に出ていませんが、これは基本的にはオントロジーを使ったものですよね。

 たとえば「柿・りんご・いちご……といえば“果物”」というようなグルーピングがすでにあり、「プレイヤーが「りんご」という言葉が好きなら「みかん」も入れてみる」という要領で、その中身を入れ替えていっているように思います。

森川氏:
 そうそう。最初に言葉を3つくらい選ぶんだけど、そこからは簡単なオントロジーで関連する言葉を拾ってくるんですね。次第にプレイヤーが好きな言葉を認識するようになっていて、「食べ物の話が好きだな」と思ったら、だんだんそういう言葉が入るようになっていく。

三宅氏:
 そうして生成された歌詞の連なりが、ちょっとシュールだけど、ちゃんと意味が通るようになっているのが凄いところですが、あれはどうやっているんですか?

森川氏:
 あらかじめ名詞や形容詞などがスケルトン状の歌詞を作っておいて、そこに品詞ごとに言葉を入れていくんです。
 これがもし小説だとできあがったものも変な感じになっちゃうんですが、歌の歌詞って、じつはちょっとぐらい意味が通らなくても許されるので成立しちゃうんですよ(笑)。

──その「歌詞にしてしまえばいいじゃん」みたいなものも、ひとつのアイデアですよね。

森川氏:
 まさにそこは、自分でも「これはイケる」と思ったところなんです。さらにくまは音声合成なんですが、もともとはそれで言葉を喋らせてみようとしていたんです。ところがどうしても機械的になっちゃったんですね。
 「でも、メロディに乗せることでイントネーションや抑揚の影響が少なくなれば、違和感がないのでは?」とある日思いつき、そこから逆算していまの形を作ったんですよ。
 ちなみにじつはこれ、くまは母音だけリップシンクしていたりもするんですよ。苦労して入れたんだけど、誰も驚いてくれなかったなあ……(苦笑)。

──なるほど……。森川さんの仕事は、つねに一歩先を行っていたために、当時の評価が追いつかなかったという印象が否めませんね。
 話を伺っていると、そのときどきの最先端の技術を、きちんとゲームデザインと密接に絡み合ったものとして落とし込んでいる。そこがすばらしいのに、そのためにかえってガチガチのアカデミズムからもゲーム業界からも、どう評価していいか判りにくいものに見えたんでしょうね……。
 だからこそここからは、そうした森川さんの評価を巡りつつゲームAIについて考えていければと思います。

■国内メディアアートの文脈と“ゲーム”の結節点

──ここからは、森川さんの功績を踏まえ、あらためて三宅さんにご登場いただいている記事のテーマである「日本のゲームAI」について考えてみたいと思います。くり返しになる部分もありますが、森川さんが「AIを使ったゲーム」を作り続けた理由を訊ねさせてください。当時のゲーム作りの過程で、AIにどのような魅力を見たのでしょうか?

森川氏:
 ひと言で言うと──「予定調和じゃないところ」ですね。

 たぶん、普通のゲームの作りかたって“筋書きのあるプロレス”なんですよ。
 フラグで管理したりしながら、プランナーが最初から最後まできっちり設計して作っている。それに対してAIを使ったゲームの作りかたって、セメントの格闘技みたいなものなんです。
 そこには、「自分が作ったもののはずなのに自分の思いどおりにならない」という面白さがある。

──森川さん自身も予知できないことが起こると。

森川氏:
 実際に作っていて、ふとした瞬間に「自律的な知性や感情」を感じてゾッとする瞬間があるんですよ。それは、言ってしまえば「命や魂みたいなもの」の感覚なんです。

 もちろん、厳密に言えば知性でも感情でも何でもないんですけど──どうしてもそう感じてしまうんです。初めてそれを感じた瞬間は、全身に衝撃が走りましたね。そして「ああ、この感動をプレイヤーに届けたい」と思ったんです。

 とくに『アストロノーカ』を作っているときは面白かったですね。
 バブーがトラップを抜けるときには「そうきましたか」みたいな方法を使ってくるんですよ。実際に人間じゃ思いつかないことを彼らはやってくるので、もはや彼らが繰り出してくる発想の数々に、尊敬の念すら感じながら眺めているわけです(笑)。

 そんなふうに、自分が作りながら味わった面白さを、プレイヤーにそのままぶつけて心を揺さぶりたいと思ったんですよね。それを感じることで、初めて本当の意味でプレイヤーはAIに出会うことができると思うので。

──なんだか、お話を伺っていて思ったのですが……森川さんとその作品って、少し「メディアアート」っぽいですよね。

森川氏:
 どういうことでしょう?

──まさに森川さんの先輩である石原さんこそが、もともとはメディアアートの世界でCGを手掛けていたけれどゲームの世界に来た方ですよね。森川さんも、彼のようなメディアアートからゲームに連なる系譜に位置付けられるんじゃないかと思ったんです。

三宅氏:
 わかります。だからこそ森川さんのゲームには“作家性”があると思うんですよ。

 ひとつひとつのゲームは商品というよりも、森川さんの「作品」に近い。僕は森川さんという人は、ゲームというよりもむしろ「AIを使った作家性のあるメディアアート」をやってきた人だと思うんです。

──そして、森川さんはテレビ番組にも関わられていますが、石原さんもまた、批評家の浅田彰さんと先進的なテレビ番組(『浅田彰の電視進化論』)を作ったりしたことで、メディアアート史にその名を刻んでいる方です。
 そう思うと、日本のメディアアートの一部は、ある時期以降、テレビ番組やゲームに流れていった系譜があるんじゃないでしょうか。

森川氏:
 確かに当時は、「これはCG、これはゲーム」などと自分の中ではあまり区別はしていませんでしたね。

成沢氏:
 プレイすると、『アストロノーカ』や『くまうた』って、テレビ番組を観ている感じがありますし、自分が作品に関わって変化させることができるので、そこにもメディアアートらしい不思議さがありますね。

本城氏:
 そういう意味では、森川さんって、いまでいうと落合陽一さんが近い存在かなと思いますね。テクノロジーも詳しく解り、アカデミズムでも活躍されながら、メディアアーティストとしての人格もあり……という形ですよね。そうした全然違うタイプの才能が奇妙に同居しているというか。

三宅氏:
 でも──いまなら解ると思うんです。こうしてAIが注目されることで、森川さんのこれまでの仕事がどういう文脈に乗っていたのかを照らしてくれると思うんですよ。当時は最先端すぎて解らなかっただけなので。

森川氏:
 そうですね(笑)。

 実際、ディープラーニングがブームになってくれたおかげで、こうして新しく会社を作ってお仕事をさせてもらっているわけですし。
 でも正直に言うと、いま聞かれていることって、自分の中では20年前にインタビューで答えていた話に過ぎないから、いまさら聞かれるのが不思議な感じなんだよね(笑)。

■日本のゲームAI史を、森川さんから始めたい

──ただ、森川さんの業績はだいぶ「属人性」が高いもののような気もしますね。それを日本の今後のゲーム業界にどう活かしていくのかは、かなり難しいことにも思えます。

三宅氏:
 まさに最初の扉を叩くパイオニアって、そういう大局的な才能を持っている人ですよね。とくに森川さんはゲームデザイン、キャラクターデザイン、AIテクニカルデザイン、の3つの才能を併せ持っています。もし、このうちのひとつしかなければ、開発の立ち上げの時点で、ほかの開発者たちに思い描いていることを説明し、説得する必要があったはずで、とくにAIが関わると、これは当時とても難しかった。ところが森川さんはすべて持っていたので、そんな必要はなく、自分自身を軸にしてAIを使ったゲームを作り上げることができたわけです。

 そうした森川さんの仕事は、ゲームの歴史のひとつの軸になるはずなので、その最初の出発点として明確にしておくだけでも必要なことだと思うんですよ。
 実際、欧米の躍進なんてたかだか2000年以降の話なので、そう考えたらものすごく先駆的かつ歴史が長い軸になるはずなんです。

 ただその一方で、森川さんの後に続く人は天才じゃないので、仰るとおりどうやって巧く分業していくかが重要だと思います。僕にしたって、AIが解ってプログラムや分析はできますが、デザインはほかの人にやってもらうしかないわけです。

森川氏:
 こういうことを言うのはちょっとおこがましいかもですが、これまでなら僕個人で終わっちゃうはずだった仕事が、AIの認知にともなって次に継承できるようになりつつあって、いまは単純にものすごく嬉しいんです。それをうまく継承するのが、自分の人生の最後の仕事だと思ってやっていますね。

──ただ、その継承や分業にあたって、AIの知識とそのゲームデザインへの応用のセンスって、そもそも切り離せそうにもなく。できるものなのでしょうか?

三宅氏:
 この15年のゲームの歴史って、ゲームデザインやAIが渾然一体となっていたところから、独立した技術としてAIを切り出して扱えるようにしてきた歴史でもあるわけです。

 キャラクターAI、メタAI、ナビゲーションAI、会話AI、感情AI……と、ゲームデザインからいろいろAIを取り出してきた。そしてAI開発者の尽力により、その取り出したものをUnreal Engineや Unityなどによって誰もが使える民主的なものにしてきたわけです。不可能ではないでしょう。

森川氏:
 あとはまあ、ひとりの人間の中で統合するのはなかなか難しくても、有機的なチームを作ればいいかもしれませんよね。

本城氏:
 専門学校などで、プランナーにAIの授業を真剣にやれば、状況もガラッと変わる気はします。

 今日幾度となく話に出ていますが、ゲームデザインにおけるAIって、アカデミズムとは全然違う使いかたなんですよ。

 キャラクターを動かしているスクリプトの定義を、別に用意した遺伝的アルゴリズムで最適化するというようなことをしていたり。これによってたとえば敵の攻撃パターンを読めなくさせたりできるわけです。そんな仕組みって、アルゴリズムの特性などを深く理解していないと、まずゲームに入れようとは思わないんですよね。それはやっぱり教育でどうにかするしかないと思いますね。

──それってもはや「いきなり畑は作れないから、土を耕し、肥料から地道に蒔くしかない」という話ですよね。

成沢氏:
 でもそれがなければ始まりませんから。あと、ビジネストークで申し訳ないんですけど、志のある方は、モリカトロンにぜひ入社していただければ、いちばん近いところに大先生がいらっしゃるので……(笑)。

一同:
 確かに(笑)。

■海外が作るのは考えるAI、日本が作るのは生命そのもの

──そこで最後に、最初の話に戻っていきたいと思うんです。森川さんの存在から、逆に日本のゲームAIの特徴というのが見えてこないだろうかと。

三宅氏:
 欧米のAIというのはつねに「考えるAI」だと思っています。

 ゲームで言えば、FPSにおける兵士のキャラクターであり、リアルタイムストラテジーにおける戦略家のイメージなんですよ。

 それに比べて日本のAIというのは、まさに森川さんの仕事が象徴するように、「生命としてのAI」なんです。だから、ある意味では賢くなくても意図や感情を感じられればそれでいい。知能というものを極めて柔軟に捉えているのが日本のAIだと思います。

 海外の合理的なAIを見ていると、「そうした柔軟性などはちょっと欠けているな」という所感を抱きますね。日本って、むしろ非合理なものだったり、賢いのか賢くないのかちょっとよくわからないものを作るんですよね。

 でも本来の生物だってそうじゃないですか。別にいちばん頭がいい生物が生き残るわけじゃなく、柔軟に環境に適応する能力があるほうが大事なわけですよ。

──確かに、凄く広い視野で知能を捉えてみると、そう言えるかもしれませんね。

三宅氏:
 だから、さきほどの夢の島の話じゃないですが、そうした生物界の多様性をそのままゲームに持ち込むセンスを日本は持っていて、それはよく言われるゲームデザインの多様さにも現れていると思うんです。
 そして、ゲームデザインが多様だということは、そのぶんじつはゲームAIの形も多様であるはずなんです。

 いまのAIの捉えかたは、とにかくディープラーニング一辺倒になってますが、AIにはもっと多様な方向があるわけで、僕はその中に日本が取り出すべきAIがあると思っています。

 森川さんの仕事は、その中のニューラルネットワークや遺伝的アルゴリズムでの開発をすでに実現してくれているわけで。

──言われてみれば、象徴的なのかもしれませんが、森川さんのゲームには動物や謎の生命体がたくさん出てきますよね。

森川氏:
 ああ、確かに。最初から「AI=生き物」というのは、自分の中で完全に紐づけて考えていましたね。

 そこに疑いの余地すらなかったのは、やっぱり日本人だからかもしれませんね。典型的なのは、日本って産業ロボットに名前を付けちゃうような国で、そこらへんの感覚が西洋人とはまったく違いますしね。

三宅氏:
 そもそも西洋では人間以外に魂を認めることは、厳格に宗教的に言うとダメなはずなんですよ。

 たとえば、『たまごっち』もそれで問題になったりした過去があります。日本人にはいろいろなものに生命を認める付喪神や八百万の神の感覚があり、だからこそキャラクタービジネスがこんなに花開いているのだとも思います。

 そうした日本人の生命観とAIは、まだ融合していないんですよ。じつはそこの可能性を探るだけで、西洋では絶対に作れないオリジナルなAIができると思うんです。そここそが日本のAIが海外に圧勝できる部分だし、とくにゲームというコンテンツとは激しくオーバーラップするわけです。

 まずはゲームがそこに眠る可能性を掘り起こして世界に提示できれば、ゲーム産業以外のところでも生命ライクなものが生まれてくるんじゃないかと思っています。

──以前の三宅さんへのインタビューでは、海外でAIが異常に発展したのは、やっぱり人間中心主義への異常なこだわりがあったからという話がありましたね。

三宅氏:
 そこで重要なのは、日本はゲームとしてのレベルデザインが優秀だったので、NPCなどキャラクターの知能が低くても成立するようなゲームを上手いこと作れてしまっていたわけですよ。

 だからこそ、海外のFPSで「兵士は戦場でちゃんと自分で動いてくれ」というようなAIを作り始めていたときでさえ、日本はキャラクターに知能を負わせないように発展してしまったのかもしれません。

──高度に発達しすぎたレベルデザインによって、キャラクターにAIを加える発想が出てくるのが遅れてしまったということですね。

三宅氏:
 本来はそこにAIも加えれば、むしろもっと幅広いゲームデザインができたはずなんですよね。
 その部分で、日本は行き詰まっているんじゃないかと思うんです。

 しばらく、大型ゲームはとくに海外のオープンワールドやFPSの流れから逃れられない部分もあると思いますが、我々のポテンシャルは西洋の歴史を追うだけでは全然足りないと信じています。

 だからこそ、僕は日本のゲームAI史を引き続き掘り起こしていきたいと思うんです。

■モリカトロンの今後

──さて、最後に森川さんの新会社、モリカトロンの話を伺って締めとさせていただければと思います。

成沢氏:
 私がずっと森川さんと付き合ってきたのは、ひとえに、森川さん自体に予定調和な部分がないからですね。

 ビジネス上、プロデューサーというのは予定調和を組まなきゃいけない立場なんですが、私自身は予定調和が好きではなくて(笑)。森川さんの作り出すものは予定調和のないものですが、作っている本人も当然、予定調和じゃないんですよ(笑)。

 それから……偉そうな意味ではなく、これは私から森川さんへの恩返しでもあるんです。

 森川さんには、ゲーム業界の大大大先輩として本当に緊張しながらお会いしたときから、「ゲームとは何か」ということを教わり続けてきたんです。

 当時のエニックスのプロデューサーって、ゲームの知識がない人でも採用されたんですけど、中でも私は法学部出身でゲームは好きだったけど、専門知識としてはまったくゲームを知らなかった。
 ではどうやって仕事を覚えるかというと、先輩のやっていることを見て覚える以外に方法はなかったんです。そんなとき齊藤さんと森川さんが『アストロノーカ』を作るという、いちばんいい時代の風景を見せていただき、育てていただいたわけなんです。

 ですからモリカトロンを設立する前に、森川さんがご自身の年齢のことを話されたことがあって。そこでは「僕の年になると、あと1回か2回しかできることがないんだ。僕が最後に賭けるのはAIだ」と仰っていた。だったら私はそんな森川さんの賭けに乗るしかないじゃないですか。

──思いの強さが伝わりますね。そんな経緯で立ち上がったモリカトロンがする仕事については……本城さんにお伺いしましょう。ゲームのAIの部分を専門で手掛けるというのは、具体的にはどういう業務になるのでしょう?

本城氏:
 そもそも、「ゲームAIの組み込みを20年間ずっとやってきた人」って、日本ではあまりいないと思うんですよね。そうした森川さんの培ってきた技術を、「AIってこんなこともできるんだよ」と解りやすい切り口で現代的に提示して、いろいろな会社のゲームに組み込んでいくということをやっています。

 というのも、ゼロからAIを学んでアルゴリズムを理解し、それをゲームに適用してちゃんとした結果が出るまで全体を設計して……というのはかなり骨が折れる仕事なんですよ。

 森川さんはそのアルゴリズムを知っているだけじゃなく、いかに使いこなすかのノウハウをめちゃくちゃ持っているわけで、そこに関してはゲーム業界に非常にニーズがあるんですよ。

 具体的に言うと、いまは大きく分けてふたつの仕事の柱がありまして。
 ひとつは「森川トーク」という自然言語処理系のエンジンです。これはアドベンチャーゲームのシナリオなどを、AIがキャラクターの自然な言葉のやり取りとして出力してくれるようなものですね。「チャットボットのようなもの」というより、本当に感情を持ったキャラクターのAIを作っている感じなんですよ。

 もうひとつは、バランス調整を自動で行うエンジンです。ひたすらゲームのプレイをオートで進め、面白いポイントを抽出したりするものをイメージしてくださればと思います。

 AIって何でもできるわけじゃなく、イメージとしては、デザイナーがPhotoshopを使うようなものなんです。描いた絵のトーンを下げたり色を変えるというときに、「手で描いたら大変なので、ボタンひとつでパッと変えちゃいましょう」というもの。

 ゲームバランスだって、いままで全部手でやっていたものを「だいたいこんな感じ」みたいな感じで適当にやってくれる、便利なアシスタントみたいなソフトウェアのイメージだと思っていただければいいですね。

──丁寧な解説、ありがとうございます(笑)。

成沢氏:
 こんな感じで、本城さんが経営の舵をちゃんと切ってくれていて、森川さんはそれに合わせて研究をしてくれているんです。

 そこはもう安心してお任せしていて、私は本職がプロデューサーであるとおり、このおふたりがいちばんいい運転ができる場を作って、盛り立てていくというのが仕事ですね。

──伺っていると、とてもいいトリオのように感じます。そのトリオが最終的に目指していることはなんでしょう?

本城氏:
 もともと「モリカトロン」というのは、森川さんの考える究極のAIモデルの名前なんです。

 だから、いまはとにかくゲーム開発に役立つAIを作っているんですけど、いずれはそうした日本国内のAIの歴史の流れを汲んだ、ゲームデザインと結びついたゲームAIを作っていきたいんですよね。

森川氏:
 そうそう。『がんばれ森川君2号』を作っていたとき、最初はニューラルネットワークがあまりにも大きすぎて入らなかった。それで、仕方がないからモリカトロンという自作のAIを作ろうとして。

 それは、シグモイド関数の代わりに別の関数をうまく入れ込んだ、もっと軽量化したAIだったんですが、そのときは結局うまくいかなかったんです。
 だからそのときに作れなかった、自分たちのオリジナルなAIをいつか作りたいと思っています。

──そんな森川さんが「最後の仕事」として賭けているオリジナルなAIに期待するとともに、この遺伝子をどう受け継いでいけばいいのかという大きな宿題を、今日はいただいた気がします。今日は長時間ありがとうございました!(了)

 AIを用いたゲームのパイオニアたる森川氏に、その先進性やゲームへの効果的な使いかたを伺おうと始めた取材だったが、AIはあくまで手段。森川氏の作るゲームは、すべてゲーム体験の楽しさをいちばんとする思想に貫かれていた。

 ニューラルネットを使いながら、ときには“脳”そのものを入れ替えていた『がんばれ森川君2号』。

 遺伝的アルゴリズムを用いながらも、「表面的に進化が感じ取れればいい」と、敵キャラの世代をスキップさせていた『アストロノーカ』。

 そしてさらに、オントロジーを採用しながらも、テキストを歌詞にし、メロディに乗せることで違和感をなくしていった『くまうた』。

 このように森川氏の手掛けたゲームは、つねにAIへの高い知見とゲームデザイナーとしての抜群なセンスが高度な次元で融合したものだった。

 この融合が氏の個人的な能力に依存していると理解することは容易だが、その発端が1990年代後半の出来事であることは、にわかには信じがたい。
 それがあまりに早すぎたがゆえに、氏の業績が現在もそこまで高く認知されていないことも事実だ。今回記事で取り上げたような功績が、現代の目線からあらためて広く正しく評価されることを願う。

 三宅氏の言葉を借りれば、現在のFPSやRTSに登場するキャラクターたちは、つねに考える非常にロジカルな「西洋的なAI」だという。

 これらに対して森川氏が手掛けてきた「ある意味では賢くなくても意図や感情を感じられればそれでいい」という、「知能」を極めて柔軟に捉えた「生命としてのAI」は、「東洋的なAI」と言えるだろう。

 実際に森川氏もみずから手掛けたものでありながら、自律的な知性や感情、つまり「命や魂みたいなもの」をふとした瞬間に感じると語っている。

 その感覚や感動を届けたくて氏はゲームAIを作り続けているのだ。

 その感動をさらに拡げるべく、いま現役クリエイターとしての最後を時間を懸けるに値する仕事として、新しい会社モリカトロンを築き、それまで個人の内に培われていただけだったゲームAI構築のノウハウをもっともっと広げようとしているわけだ。

 西洋的なAIと日本のゲームがいまだ完全に融合していない現在、東洋的なゲームAIのパイオニアたる森川氏が進んでいく先には、その融合点たり得るものが現れ、広がり、やがて一般的なものとなっていくことだろう。
 そのときそこには、20年来変わらずゲームAIと戯れ、彼らの行動を神様のようにニコニコしながら見守ったり感動したりしている森川氏の姿があるのだ。

電ファミニコゲーマー:小山太輔

最終更新:4/26(金) 10:58
電ファミニコゲーマー

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