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死去・小出義雄氏「東京マラソン構想」秘話 2000年ごろ石原都知事に直談判

4/25(木) 16:33配信

東スポWeb

 2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子氏(46)らを育てた小出義雄氏が24日、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。80歳だった。小出氏を取材した元陸上担当記者が秘話を公開、追悼する。

【時代の先を行く発想力】タクシーで住所も経路も示さずに「〇〇さんの家へ」と告げるだけで、運転手が場所を分かるという有名人はなかなかいない。小出監督はその一人だった。

 京成佐倉駅から「小出監督の家」と運転手に言って、千葉県佐倉市の監督宅を訪れたのはシドニー五輪翌年の2001年3月のこと。独自にクラブをつくって積水化学を退社するという情報に接し、あわよくば特ダネをと色めき立った。

 夜分のアポなし記者を快く入れてくれた監督はすぐの独立は否定した一方、缶ビール片手の話は指導法やシドニー金メダルの高橋尚子さんの将来にも及び、「Qちゃんの結婚相手は陸上関係者でなくてもいいんだよ。温かく見守ってくれる人なら…」としみじみ語った。

 佐倉アスリート倶楽部は、その後間もない01年半ばに設立された。監督の描く理想像は陸上版調教師。個々にスポンサーや所属先のある選手の指導を委託されて鍛える。同倶楽部はいわば厩舎で、そこからG�ランナーを輩出しようという野心的な試みに踏み出した。

 常識を超えた指導ぶりは「小出マジック」とも評された。そのアイデアは多岐にわたり、07年に始まった東京マラソンにつながる構想も早くから語っていた。00年ごろから「銀座や浅草などの目抜き通りを走る大東京マラソン」の実現を、当時の石原慎太郎都知事に直談判。それがきっかけで現在の東京マラソンが生まれたわけではないが、日本に大規模都市型市民マラソンがほとんどなかった時代の先を行く発想力を持っていた。

 最後にその姿を直接見たのは15年6月。都内で開催された「がんサミット」で教え子の五輪2大会メダリスト・有森裕子さんとトークを行った。1992年のバルセロナ大会で有森さんにメダルを取らせるため、監督はたばこを断った。有森さんが監督の好きなショートホープをランニングパンツに縫い付けて走り、銀メダルに輝いた話は有名だ。

 小出監督はこのトークショーで「今は人がたばこを吸っているところへ行けない」と断煙を明かした。たばこをやめるのにいかに苦労したかを振り返ったが、それだけにもっと長生きしてほしかった。(元陸上担当・渡辺 学)

最終更新:4/25(木) 16:56
東スポWeb

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