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「遼太と、わたしだけが止まっている」川崎中1殺害から4年、母親が初めて語った葛藤

4/25(木) 10:00配信

カナロコ by 神奈川新聞

 相反する2人のわたしがいる。遼太と一緒にいてあげないといけないと思うわたしと、ほかの子供たちのために、前を向いて生きていかなければいけないと思うわたし。遼太はあどけない13歳のまま、心にとどまり続けている。思い出にとらわれていては、生きている子供たちに申し訳ない。本当はずっと遼太の側にいてあげたい。でも、思い出にふたをしないといけない。生きていかなきゃいけないから。自分が2人いれば便利なのに――。川崎市の多摩川河川敷で中学1年の上村遼太さんが少年3人に殺害されてから4年。母親(46)が初めて取材に応じた。(神奈川新聞記者・川島秀宜、塩山麻美)

 今月で18歳になるはずだった。過ぎゆく歳月に、遼太さんとともに置き去りにされそうになる。

 長女、次女、三男はそれぞれ、小中高校に進学した。「みんな遼太を追い越していく。こんどは次女の番」

 かねて同居していた男性と1年半前に再婚し、「上村」を改姓した。家族全員が夫方に本籍を移せば、遼太さんは戸籍上からも消えてしまう。案じた長男は転籍せず、旧姓にとどまってくれた。火葬後も遺骨は依然、自宅にある。「わたしが死んだら一緒に埋めて」。長男に頼んだ。

 小中で打ち込んだバスケットボールのユニホームやシューズ、弁当箱に水筒、遺品は当時のまま、居間の見えるところに置いてある。ボールは四つも。トイレで燃やされ、神奈川県警に押収されていた事件当夜の着衣も引き取った。ほとんど炭化していたが、捨てられなかった。クリスマスのプレゼントで、遼太さんのお気に入りだったから。

 事件後から抗うつ剤と向精神薬を常用する。薬効に頼れば、どうにか4時間ほど就寝できる。一時は断っていたものの、再開した。「元気がないというか、かなり下のほうに沈んでいるんです。なかなかはい上がれなくて」。命日の前後、冬場はとりわけ気だるいという。

 3年余り前に始めた児童福祉の仕事は、子ども好きを再認させてくれる「救い」だったが、辞めざるを得なかった。被害者支援に役立つ資格を取ろうと入学した通信制の専門学校も続けられなかった。気力が伴わなかった。「いつか支える側に立ちたい」と願う。「でも、いまは生きているのがやっと」

 現場の河川敷を訪ねるつもりはない。これからも、きっとない。「あそこに特別な感情はないから」。呼び覚まされるのは、23・5メートルの絶望だけだ。カッターナイフで傷つけられ、着衣を脱がされ、多摩川を泳がされ、漆黒の川下からはいつくばって進み、そこで156センチの命は尽きた。母さん、助けて――。遼太さんの叫びが聞こえてくる。

 「いつか受け入れられる日がくるってみんな言うけど、楽になろうとすれば遼太に申し訳ない」。責め苦を引き受ける妻を気遣い、再婚した夫は多摩川を越えるとき、さり気なく現場を迂回(うかい)する。

 「マザコン」で、「親バカ」で、友達のようだった親子。もっと厳しく接すべきだったのか、育て方を誤ったのか、と一時は身もだえた。子どもたちは、生前からの溺愛ぶりを茶化(ちゃか)しながら励ましてくれる。感傷を笑いに高められる強さに触れると、すこし前向きになれる。「自分は間違っていなかったのかなって」

 2月20日は、悲喜がもつれる一日になる。遼太さんの命日で、三男の誕生日でもあるから。ことしもケーキで祝ったが、複雑な心境だった。供養に訪れる友人は年々、減った。時間は残酷だ。いつまでも悲痛を癒やしてくれないし、息子の残像を忘却に誘(いざな)おうとする。

 遼太さんが好きだったアニメは新装された。「みんな生きていて、先に進んじゃって。遼太と、わたしだけが止まっている」

 思い出のふたは、にわかには閉じられそうにない。いけないと、わかっていても。

 嘆息に紛れ、独白のように聞こえた。「ああ。遼太に会いたいな」

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最終更新:4/25(木) 10:00
カナロコ by 神奈川新聞

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