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五輪代表争い「有森VS松野」で小出さんが見せた気遣い

4/25(木) 12:27配信

西日本スポーツ

 女子マラソンで高橋尚子、有森裕子、鈴木博美ら数々の五輪、世界選手権メダリストを育てた小出義雄さんが24日に死去した。80歳だった。実業団のニコニコドー(現在は休部、熊本市)監督として小出さんとしのぎを削った拓大前監督の岡田正裕氏(73)が思い出を語った。

【写真】92年3月、バルセロナ五輪代表争いを巡り「有森さんより自分が有利と思う」と会見する松野

 残念至極というか、寂しい思いをしている。先月、本人の体調が悪くて引退表明をされたと聞き、発表の翌日に電話で話した。私も大学の監督を退いたばかりだったので。その時は娘さんが出られたけど、代わってくれて。体調を悪くさせるといけないから長い時間ではなかったけど、思い出話をした。「また海外に一緒に行こうね」とか。

 よく飲んでいたので「また一杯やろうね」と言いたかったけど、小出さんは10年くらいアルコールをドクターストップされていたようで、言えなかった。お酒をやめるまでは何でも飲んでいて、特に寝る前にウイスキーをオン・ザ・ロックで飲むのが好きだったと聞いている。一度だけ(米国)ボルダ‐へ一緒に合宿に行ったとき、現地の中華街で「体に良いから」と紹興酒を勧めたら、おいしそうに飲んでいたのが忘れられない。もう一度潤滑油がほしかった。覚悟はしていたけど、いざとなると心に穴が空いた。

 1988(昭和63)年がソウル五輪。その翌年、平成の始まりから良きライバルであると同時に仲間として頑張ってきた。特に有森(当時リクルート)と松野(明美、当時ニコニコドー)は良きライバル。92年バルセロナ五輪の代表を巡ってはいろいろあったけど、当時のニコニコドーとリクルートはフレンドリーで、6年間ぐらい毎年2月に(沖縄県)浦添市で合宿をしていた。お互いに考えたメニューで練習したり、プールでチーム対抗戦をやったり。夜は常に酒を飲みながら、いろんな話をした。

 小出さんと私は長い距離を踏むという指導法に大差はなかった。ただ、小出さんには豪放な印象があるけど、緻密でしっかりと計算しながら指導していた。褒めて褒めて褒めちぎる印象があるけど、選手にはきめ細やかだった。

 例えば東京であった世界選手権のとき。有森がレース前に足をねんざをした。選手村の品川プリンスホテルで痛めたらしい。有森が報告すると、手当をした小出さんが「なんでそんなふうになるんだ、以前も痛めただろ」と注意していた。そこまで言うんだ、と細やかさを感じた。

 松野と有森がその座を争ったバルセロナ五輪代表選考の際は世間様にいろいろと心配をいただいていたけど、私も小出さんも「お互いに決まったことは決まった」と割り切っていて、交流は変わらなかった。松野がショックを隠せず、人前に出るのも嫌だったときに、小出さんが「松野に俺が声をかけようか」と言ってくれた。いつか俺の身にも起こりうることだと思ったんじゃないかな。後々、一緒に飲んでは「あの時は残念だったなあ、会社の大きさの差かなあ」とか冗談交じりに話していた。

 バルセロナ五輪の4年前から3年間、日本陸連が現地で国際バルセロナ女子駅伝を開催し、日本を含めて20チームぐらい参加していた。そのときも2人で行き、私と小出さんが交互に監督をした。楽しいバブルの絶頂期で、女子の駅伝やマラソンが日の目を浴びてきたとき。良い思い出をもらいました。

 ニコニコドーが休部になり私が離れてからも、小出さんはよく頑張るなあと思っていた。(鹿児島の)徳之島の合宿でよく会っていて、私が亜大で箱根駅伝を優勝したときは徳之島で一緒に飲んで「五輪よりも箱根の優勝の方が難しいんだよ」と冗談を良いながら喜んでくれた。

西日本スポーツ

最終更新:4/25(木) 12:54
西日本スポーツ

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