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【特集】凄惨な現場は「医療従事者の”生き方”」も変えた…14年前の脱線事故、“教訓”を次世代へ

4/26(金) 15:29配信

関西テレビ

JR福知山線の脱線事故は、その後の災害医療にも大きな影響を与えました。

あの時、何ができて、何ができなかったのか…。そして、その教訓を14年経った今、どう生かしているのか。医療従事者たちの証言です。

2005年4月25日、兵庫医科大学病院

【医師】
「次、29歳、女性!29歳女性、重傷」 
「ストレッチャー早く!」

病院が撮影した映像には、医療従事者が総出で治療にあたる様子が映し出されています。

兵庫医科大学病院は、最も多い113人を受け入れました。

■「想定外」から「教訓」を 災害医療の転換点

【兵庫医科大学病院・平田淳一医師】
「道端と言いますか…、こういう歩道のような場所に寝かされているような状況でした」 

当時、治療にあたった平田淳一医師(46)です。

【平田医師】
「ひっきりなしですね。大きなマイクロバスで搬送されてくることもあったし、トラックの荷台に積まれて搬送されてくることもあった。見るも無残な状態な方も一杯いました。一種、戦場のような感じでした」

初めて経験する大規模な事故でした。当時の救命センターは、一度に100人を超える患者を受け入れることは想定していませんでした。


事故を受けて、兵庫医大は救命センターを一新。

【平田医師】
「傷病者受け入れに関しては前の救命センターは、(患者)2人から3人が精いっぱいだった。今はかなり充実した設備で幅も広くて」

多くの患者を同時に治療ができるよう、処置室は広く作り替えられました。

入り口の「待合室のソファ」にも工夫がされています。

【平田医師】
「簡易式のストレッチャー、ベッドですね。ここに乗る感じですね。車輪がついているので搬送に使えると。当時の教訓が生かされていると思う」

【平田医師】
「いわゆる阪神大震災ようなこともあるが、もうそうそうないだろうといったところが、どこか気持ちの中に医療者もあったと思う。あの福知山線の脱線事故で、いよいよこれはほんとだな、いつ起きてもおかしくないと」


【平田医師】
「元気に出て行った家族が亡くなって帰ってくることが、いつ自分の身に起こってもおかしくないということを目の前に突きつけられた事故だった」

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最終更新:4/26(金) 15:29
関西テレビ

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