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ドラゴン殺法・藤波辰爾選手が忘れられない「バトルロイヤルチャーハン」の味

4/26(金) 12:08配信

メシ通

「炎の飛龍」藤波辰爾選手

「名勝負数え歌」「ドラゴン殺法」「飛龍革命」など、プロレス史に残る名場面をいくつも彩ってきたのはご存知のとおり。 アントニオ猪木に憧れて日本プロレス入団。その後、猪木が立ち上げた新日本プロレスへ。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのWWWF王座奪取や、ドラゴン・スープレックスやドラゴンロケットなど、華麗な技の数々でたちまち“ドラゴンブーム”を引き起こします。

「日本プロレス界の至宝」武藤敬司を鍛えあげたメシの話

ヘビー級に転向してからは師・アントニオ猪木や長州力、UWF勢などの強烈な敵を相手に好勝負を繰り広げ、2015年には日本人ではアントニオ猪木に続き2人目となるWWEホール・オブ・フェームとして殿堂入りも果たしました。現在も現役レスラーとして活躍中です。

戦後、力道山が創った日本プロレスを知る現役レスラーも少なくなりました。大分の実家でテレビに映るアントニオ猪木を見てレスラーを志したという藤波選手。当時のプロレスラーというと、力士や柔道などの経験者がスカウトでプロレス入りするのが通例で、一般の素人が受ける入団テストなどはまったくありません。藤浪選手が入団するには、「直訴」しかありませんでした。

まわりは格闘技をやってたり、喧嘩が強かったり、そういうのばっかりだった

藤波:今は入門テストとか、いろいろとプロレス入団の方法があると思うけど、日本プロレスのころはスカウトがほとんどでね。「どこどこの学校に柔道の有段者がいる」とか「アマレスの強いのがいる」とか聞いて、そういう人に声をかけに行く。一見のファンが団体に入るなんて、まずなかったんですね。

──では、どうやって藤波選手は日本プロレス入りを果たしたんですか?

藤波:同じ大分県出身の北沢さん(北沢幹之。魁勝司として活躍)が、怪我をしたのか別府温泉に療養に来ているらしいってのがファンの間で噂になったんですよ。だからもう、必死に探しに行きましたよ、温泉中を。それでようやく見つけて、日本プロレス入りを直訴して。そのまま巡業に連れて行ってくれてね。北沢さんにしたら、いい迷惑だったろうけど(笑)。

──それから上京して、新弟子生活がはじまったわけですね。

藤波:そうですね。でも最初は見た目がね……まわりは普通に格闘技をやっていたり、喧嘩がメチャクチャ強かったりとか、そういうのばっかりで。みんな体がでかいですから。そんな中に、本当にただのプロレスファンと同じような感じだったからね。丸坊主で、制服を着て(笑)。

──新弟子はまず食事当番からやる感じだったのでしょうか。

藤波:寮に入って、まずは炊事当番を先輩に教えられました。困ったのが、田舎では薪でご飯炊いてたんだけど、当然こっちには薪なんかない。ご飯の量も1升炊きみたいなのだしね。先輩の見よう見まねで覚えていきましたね。

──やっぱり基本は鍋ですか?

藤波:そうです。料理は力道山先生の相撲の流れから来てるんで。あとは先輩から教えられて、卵焼きや煮物を作ってね。当時はお相撲さんあがりも多かったから、料理はみんなお手のものなんですよ。鍋料理だと、まな板なんて使わないんですよね。手のひらの上に材料をのせて、包丁で切って、野菜なんてそのままちぎって入れちゃう。

──豪快ですね! 当時の藤波さんの得意料理は何だったんですか。

藤波:得意料理とは言えないですけどね。だいたい僕のちゃんこ番の時は、湯豆腐をよく作ってましたね。作るのが一番簡単だから(笑)。豆腐と鶏肉、豚肉、あとは野菜を茹でて。

──新弟子になって体重は増えました?

藤波:日本プロレスに入った当時の体重は60キロあるかないかだったけど、デビューの時はなんとか70キロぐらいまで増やしましたね。でも、最初は食べるのが苦痛だったね!
お腹いっぱいまで食べて、さらにそこからどれだけ食べられるか、だから。お相撲さんはそういう経験を踏んできてるけど、自分はそういう世界の経験がないので、とにかくプレッシャーがすごい。これはすごい世界に飛び込んでしまったな……と、めしで気づきましたね。

──プレッシャーとは、どんな感じだったのでしょう?

藤波:ぼくが中学を卒業するくらいで身長が177センチちょっとくらいだったんですけど、当時は馬場さん(ジャイアント馬場)が2メートル8センチ、坂口さん(坂口征二)が2メートルくらいでしょ?
みんなデカかったんですよ。そのなかにぼくがポツンといる感じでね。だから毎日、息を抜く時間がない。食事の時も、息が抜けないんですよ。めしが一番楽しみな時間なはずなのに、喉を通らない。本当はお腹が空いているはずなんだけど、食えないの。そんな時期がしばらく続いたね。

──精神的にもキツかったんですね。

藤波:北沢さんがそれを見てたんでしょう、寮から近くの食堂まで連れ出してくれて。タダのめしがあるのに、食堂やレストランまで、わざわざご飯を食べに連れて行ってくれましたね。

──めちゃくちゃ優しいですね、北沢さん!

藤波:だからぼくは北沢さんがいなかったら、レスラーになってなかったと思います。

──北沢さんに連れて行ってもらった 食べ物で、思い出のものありますか?

藤波:カレーライスとビーフカツ、あとトンテキだね。いい洋食屋があってね、おいしかったなあ。あと大分の頃からカレーライスなんかは食べてはいたけど、味が全然違ったよね! 入ってる具も違うし。田舎と東京は違うなって思いましたよね。

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最終更新:4/26(金) 12:08
メシ通

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