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冨士眞奈美、共演した寺田心の“好きなタイプの女の子”回答に「泣けちゃうわ」

4/27(土) 11:02配信

テレ朝POST

1956年にドラマ『この瞳』(NHK)で女優デビューし一躍清純派人気女優になったが、ドラマ『細うで繁盛記』(日本テレビ系)で意地悪な小姑役を演じ、清純派女優から“憎まれ役”にイメージチェンジした冨士眞奈美さん。その強烈なキャラが話題を集め、憎まれ役が人気者になるという新しいパターンに。ドラマ、CMに引っ張りだこになる。

文学少女だった冨士さんには“清純派女優”時代から執筆依頼もあったが、清純派のイメージもあり、書きたいことを書く勇気がなかったという。それが『細うで繁盛記』がきっかけで汚れ役もできるようになり、物を書くことにチャレンジすることに。

◆女優を引退したら清々した?

-小さいときにはよく病気をされていたそうですが、丈夫になられたのはいつ頃からですか-

「女優になってから丈夫になったの。高校のときはまだダメでヒョロヒョロだった。母がいつも朝、『お昼の休み時間に購買部で牛乳を一本買って飲んでね』って言ってましたよ。そのぐらいダメだったんだけど、女優になったら病気になっている暇がないんだもの。『あなたの病気はスケジュールに入っていません』って言われちゃうの。

あの頃は映画が全盛で、父が病気になってから映画にいっぱい出るようになったんだけど、『お父さんの病気はスケジュールに入っていません』って言われてね。私は父の死に目に会えなかったの」

-昔は「芸能界で仕事をするなら親の死に目に会えないと思え」なんて言われていましたね-

「そうなの。今とは違って、それが当たり前の時代でしたからね」

主役から汚れ役までこなし、抜群の演技力で人気女優となった冨士眞奈美さん。しかし、1974年、脚本家の林秀彦さんとの結婚を機に女優業を引退。エッセーや小説の執筆、対談などの活動のみを続けることになる。

-ご結婚されたと同時に女優業を引退されましたね-

「辞めました。家までプロデューサーの方が来てくださって、『そろそろ仕事をしても良いでしょう?』っておっしゃってくださったりしたんですけどね。続きもののドラマがあったりしたんだけど、それをやったら家のなかがめちゃくちゃになっちゃったりして、きっと家庭生活が続かないと思ったの。子どももまだちっちゃかったしね。だからみんな断ったんだけど、良い映画もずいぶんありましたよ」

-結婚したら女優を辞めるというのは、最初から決めていたのですか-

「辞めようと思ったんですよ。夫には雑文を書くこと以外、仕事は一切認められなかったの。ほかのきれいな女優さんは好きだけど、妻が女優っていうのは気に入らなかったんだと思う。

脚本家だから女優のために書くとか、好きな俳優さんのために書くということはするけれど、自分の妻が女優というのはイヤなのよね。私、忖度(そんたく)したわけ(笑)」

-女優を引退するのはイヤだとは思わなかったんですか?-

「思わなかった。何か清々していた。目覚ましをかけて起きないですむし(笑)。子どもは小さくて可愛いしね。PTAの幹事になって、PTAの広報部の副部長をやったりしていたのよ。学校で講演の講師の先生とかが来ると、今まで自分がされていたことを広報だからやるのね。

『講師の先生は〇〇先生です。よろしくお願いします』とか言ってね。とても楽しかったわよ(笑)。運動会でドッジボールとかをやるんだけど、からだが弱かったくせに子どもの頃からスポーツが好きだったからすごく上手なの」

結婚後はエッセイや小説の執筆などの活動をメインにしていた冨士さんだったが、1984年に離婚すると本格的に芸能活動を再開。女優、俳人、エッセイストとマルチな活動を続けている。

-冨士さんの文才は新聞記者だったお父様譲りでしょうね-

「いつもいつも書いている父の後ろ姿しか見てないし、書くことは昔から好きだったわね。父が若いときに文学青年だったから、納屋みたいな離れに本がいっぱいあったのね。だから本はよく読みましたよ。母も結構好本を読むのが好きだったから雑誌もいっぱいあって、連続物とかも全部取ってあるから夢中で読んでいたわね。

小説も菊池寛、久米正雄、広津和郎とか、そうそうたる人が書いていたから、続けて読むと面白いのよ。納屋にはお餅とか食べ物も入っているから、それを食べながらずっと読んでいたわね」

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最終更新:4/27(土) 11:02
テレ朝POST

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