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【「平成」と乗りもの】廃止続いたローカル線 令和は「新しい交通体系」考える時代に? 見えた光

4/28(日) 10:07配信

乗りものニュース

「明るい未来」もあった平成初期のローカル線

 平成の30年間で、多くのローカル線が廃止されました。1989(平成元)年1月から2019年4月までに廃止されたローカル線(貨物列車しか走らない路線や、ケーブルカーなど特殊な鉄道を除く)の総延長は、およそ1600km。新幹線で東京駅から鹿児島中央駅までの距離(1325.9km)よりも長くなります。

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 しかし平成の初頭は、ローカル線には明るい空気もありました。

 第三セクターの三陸鉄道(岩手県)は、国鉄ローカル線(当時工事中だった区間を含む)を引き継ぐ形で1984(昭和59)年に開業。想定では初年度、約9800万円の赤字になる見込みでしたが、ふたを開けてみれば約2600万円の黒字でした。

 国鉄時代より運転本数を多くして利用者を増やし、さらに車掌が乗らないワンマン運転を導入するなどしてコストを削減。日本鉄道建設公団(国鉄新線の建設組織)から線路を無償で借りられたほか、国から1kmあたり3000万円(工事中だった区間は1km1000万円)の「転換交付金」が拠出されたことも、黒字に寄与したといえます。

 その後も三陸鉄道は黒字経営を続け、1990(平成2)年度には累積赤字も解消するなど、「第三セクター鉄道の優等生」と呼ばれました。この三陸鉄道の事例をきっかけのひとつとして、各地で国鉄ローカル線の第三セクター化が相次ぐことになり、1980年代後半に廃止対象になった国鉄のローカル線83線(3157.2km)のうち、38線(1310.7km)が第三セクター(一部は私鉄)に引き継がれています。

「公有民営」はローカル線を救うのか?

 しかし結果的に、平成の30年間でローカル線を取り巻く環境はいちだんと厳しさを増し、先述のように廃線になった例も少なくありません。

「優等生」だった三陸鉄道も、周辺の道路整備が進んだことや沿線人口が減ったことなどにより、利用者が減少。無償で貸し付けられていた線路も、日本鉄道建設公団の組織改編にともない、譲り受けて自社の所有資産となったため、固定資産税が経営を圧迫しました。

 そのため同社は、1993(平成5)年度には初めて赤字を計上。以後は厳しい経営が続いており、2009(平成21)年には「公有民営」の経営に移行しています。

「公有民営」とは、施設の全部または一部を沿線の自治体が保有し、運行事業者に無償で貸し付ける経営方式のことです。鉄道を維持するための費用の大半が「自治体持ち」になるため、鉄道事業者は経費を大幅に減らすことができます。1987(昭和62)年の開業以来赤字だった若桜鉄道(鳥取県)も、公有民営に移行した2009(平成21)年度から2011(平成23)年度までは黒字になりました。

 しかし、沿線の自治体は施設の維持費を払わねばなりません。ローカル線を抱える自治体の多くは財政規模も小さいため、負担の増加に難色を示すことが多く、これが公有民営化するうえでの課題になっています。

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最終更新:4/29(月) 12:46
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