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売上高は20年間で半分程度に…「NECはどこへ行くのか」の答え

5/2(木) 16:04配信

ニュースイッチ

ターンアラウンド改革に着手

 NECは7月に創業120周年を迎える。平成時代の30年間は、ちょうど最後の4分の1に当たる。この間、トップ交代は6度あり、経営は時計の振り子のように大きく揺れた。連結売上高は2001年3月期にピークを迎えたが、ITバブルの崩壊や韓国、台湾などとの競争激化により、おおむね20年間で半分程度に縮小した。「NECはどこへ行くのか」とも言われ、迷走する中で、13年ころにターンアラウンド(方向転換)に着手。戦う場所と戦い方を変え、社会価値創造を目指す企業へと変貌を遂げている。

<6度のトップ交代>
 平成が始まった1989年、NECは80年以降の拡大路線のさなかにあり、ハイテク産業の雄として、バブル経済の波にも乗っていた。この成長をけん引してきたのは中興の祖でもある関本忠弘氏(当時社長)で、94年に経営を金子尚志氏に引き継いだ後も、会長として影響力を持ち続けた。

 だが、成長の階段を一気に駆け上がってきた反動は大きかった。連結売上高は01年3月期に5兆4097億円と、過去最高を記録したものの、急成長に伴う歪みが経営を圧迫していた。日米半導体摩擦や00年のITバブルの崩壊、半導体投資のリスク拡大などにより、バランスシートの毀損(きそん)が広がった。

 看板商品だったパソコン「PC9800シリーズ」の牙城も、世界規格の「DOS―V」の上陸や「ウィンドウズ95」の登場によって、きしみが生じ、さらに米デルによるBTO(受注生産方式)でのユーザーと直接結びつくビジネスモデルとの戦いも厳しかった。

<拡大路線にブレーキ>
 拡大路線にブレーキを掛けたのは99年にトップ(社長)に立った西垣浩司氏。赤字だった米国のパソコン事業や家電からの撤退、02年の半導体事業の分社化などの経営改革を相次ぎ断行し、業績を立て直した。

 ただ、改革に伴う社内での軋轢(あつれき)も大きく、改革半ばで西垣氏は03年に一線を退き、西垣氏と同じくITソリューション出身の金杉明信氏にバトンタッチした。金杉氏はIT・ネットワークの統合時代に向けて経営のかじを切った。“双子の赤字”と言われた半導体と携帯電話の両事業の再編でも奮闘していたが、病に倒れ、無念の降板となった。

 急きょ登板となったのは、ネットワーク出身の矢野薫氏。IT・ネットワーク統合のコンセプトを「次世代ネットワーク(NGN)」へと進化させ、新たな方向性を示した。

 だが矢野時代も激動だった。08年にリーマン・ショックに見舞われる一方で、子会社の不正会計を受けたガバナンス(企業統治)強化や、米ナスダック上場の廃止、半導体事業の切り出しなどに奔走した。

 大規模な構造改革を経て、経営を託されたのが遠藤信博氏(現会長)。遠藤氏は選択と集中を徹底し、NECのかつての顔でもあったパソコン事業や、インターネットサービスプロバイダー(ISP)の「ビッグローブ」事業を売却、スマートフォンからも撤退した。

 代わって、全社方針として13年に打ち出したのが「社会ソリューション事業」。技術・製品軸で分けていたビジネスユニット(BU)体制を業種軸を中心に再編し、情報通信技術(ICT)を活用して社会課題を解決する企業へのシフトを進めた。

 この路線を遠藤氏とともに推し進めてきたのが、16年に就任した新野隆社長。「NECの文化を変える」ことを掲げ、新成長へのギアチェンジに力を注ぐ。

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最終更新:5/2(木) 16:04
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