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【ラグビーコラム】未来につながる不安定

5/7(火) 17:03配信

ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

■どのグレイドでも同世代のてっぺんを走ってきた才能が、突然、ナイーブの魔界に引き込まれる。人間らしい。

 大学の入試、科目と科目のあいだの休み時間、大教室の片隅で、持参の一冊に目を落としたら、ちょうどそこのページの内容と同じ問題が出て、合否予測を覆し、受かった人物を知っている。それは参考書ではなく大衆的な「歴史読み物」であった。医学博士取得の審査、今回は準備不足、難しいか、と覚悟したら、たまたま直前にある書物のごく一部を読むと、まるまる関連する質問があって合格した男も酒場の友だ。

 人生、そういう場合もある。しかし多くは逆ではあるまいか。

 知っているはずなのに忘れる。前回、首尾よく運んだことが、なぜか、次はからきしできない。目の覚めるような「勝利」と擦ったマッチがすぐ消えるみたいな「敗北」のめまぐるしい繰り返し。いっぺん乗れた自転車は永遠に乗りこなせる。その通り。でも、ペダルを漕いで切れたタイムに次は届かない。こちらも本当だ。

 サンウルブズ。曇りと小雨どころか快晴と土砂降りの連続。スーパーラグビー史におけるヘビー級のチーフス、ワラターズを敵地で破りながら、それぞれの次戦では同じようにできない(対ブルーズ、20-28。対レベルズ、15-42)。4月19日、秩父宮で、3年前のチャンピオン、ハリケーンズに23-29の惜敗。翌週、同じホームで、ハイランダーズには0-52の惨敗を喫する。試合ごとのスコア同様、ひとつのゲームの中にも「晴れたり降ったり」はなかなか消えない。会心のトライの直後、ふわっと気持ちの浮くようなエラーは発生する。5月3日、アウェーのレッズ戦は反則多発、26-32で落とした。  

 ナイーブ(naive)。日本語を探すより先に、こちらの響きが頭に浮かぶ。「経験不足。賢明でない」。あるいは「どっしりとせず」。そんな意味だろうか。そう。2019年の(北半球の)春、サンウルブズはいまだナイーブだ。強くなった。だから強くあり続ける難儀もよくわかる。

 そして少し安心する。ラグビーはラグビーなのだと。優れた「個」が並んでも、成功と失敗を歳月を経て細胞化できたクラブがそこにないと、チームはしたたかになれない。1996年に船出した「スーパーラグビー」にサンウルブズが加わったのは2016年、20年の若さは、そのまま「晴れたり降ったり」につながる。現在の「どっしりとせず」は、だれもが通る成熟の過程なのだ。それでいいのさ、と、言い切っては敗北に寛容すぎるだろうか。だが、少なくとも、そういうものだ、とは書きたい。

 近所の子どもたちの交流試合がある。地域の高校の花園予選1回戦がある。全国にテレビ中継される伝統の大学対抗戦がある。スーパーラグビーのひとつのゲームがある。そしてワールドカップのファイナルがある。いつも思う。どのレベル、どんなカテゴリーでも、そこにナイーブってやつは派生する。スーパーラグビーでは存分に力を見せつけた選手が、国代表の決戦では、うぶな少年に戻ってしまう。

 うっすら知っていた上記の事実を再確認できたのは「2011年のコリン・スレイド」を見たからだ。あの年のワールドカップ、ほとんどニュージーランドの国宝のようなダン・カーターが突然の負傷にさいなまれた。10月1日。翌日のカナダ戦に備え、主将の仕切る軽い調整練習が行われる。ダン・カーターは、全体のトレーニングを終えると、ボールを芝に立て、プレースキックの独習を始めた。「アウト・オブ・ザ・ブルー」。青天のへきれき。現地の新聞の表現を覚えている。世界最高のスタンドオフは、左足に手を添えて倒れた。左足鼠蹊部、付け根の腱のトラブル。翌朝、テレビのニュースは伝えた。「悲劇です。ダン・カーターのワールドカップが終わりました」。

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