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「国家」を背負う三菱重工、新社長になって何で稼ぐ?

5/10(金) 9:42配信

ニュースイッチ

天空へ深海へ

 三菱重工業は135年の歴史の中で、世界約300社で構成するグローバル企業として挑戦を続け、数多くの日本初、世界初の製品を生み出してきた。4月1日には泉沢清次社長が就任、新体制が始動した。明治、大正、昭和、平成の時代を不変と革新を繰り返しながら、その時代を駆け抜けてきた同社。新しい旗手の元、令和の時代に“三菱丸”は成長に向けた針路を取る。

<国家の夢担い、新技術次々と>

 「皆さんも歴史をつなぐメンバーとして新しいことに挑戦してほしい」―。4月1日、東京・品川で行われた2019年度の入社式で、泉沢社長は熱っぽく語った。

 20年の東京五輪・パラリンピックを控える日本。三菱重工業は前回の東京五輪が開催された64年に、3分割されていた重工業のグループ企業が再度合併して、今の企業体として始動した。

 以来、国家レベルのプロジェクトには常に三菱重工が関与してきた。一時期は“三菱は国家なり”とも言われた。同社の歴史には、常に“新技術への挑戦”がある。

 扱い製品は石油掘削リグから発電プラント、タンカー、橋など陸海空の領域に広がる。例えば空の分野では96年のカナダ・ボンバルディアと共同開発したビジネスジェット機が初飛行した。07年には米ボーイングの中大型機「787」主翼ボックス初号機出荷、00年の「F―2」戦闘機量産初号機引き渡しなど民需、官需に対応してきた。

 三菱重工の扱い製品は陸海空の領域に広がる(航空自衛隊F-2A戦闘機、三沢基地で撮影)

 だが、技術への挑戦が業績に結び付いたか、というとそうではない。高度経済成長期やバブル期など、日本経済が右肩上がりの時代には全国の工場や事業を自由に競争させ、成長の果実を得てきた。

 だが、バブル崩壊後の90年代以降、日本経済が失速し、モノづくりの海外移転が進む。日本市場への依存度が高い同社は低成長時代に突入した。米国やドイツ、中国など世界経済が大きく伸長する中、むしろ世界の競合との差は開くばかり。先端技術を磨きながらも、年間売上高は平成の約30年にわたり、3兆円前後と横ばいが続いた。

 海外では新興国の成長が著しく、インフラ整備の需要も拡大していたが、需要を取り込めていなかった。事業構造改革にかじを切ったのは2010年だ。

 低成長時代を踏まえ、選択と集中をメーンとした事業ポートフォリオの見直し、不採算事業の廃止・整理を進めた。米ソングス向け原子力機器事業では対策室を設け、全社精鋭チームによる対応を図った結果、当初、相手から約7000億円の請求があったのを数十億円に減額。欧アイーダ・クルーズ向け客船事業は、2742億円の累積損失を出して決着した。

 10年には「戦略的事業評価制度」を導入。700以上あるといわれた製品群の区分を10分の1以下の64に見直した。「現時点では組織・体制や制度の改革は完了した」とする。

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最終更新:5/10(金) 9:42
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