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軽巡洋艦「神通」の一部始終 旧海軍切り込み担当の誉れ 語り継がれるその壮絶な最期

5/11(土) 6:02配信

乗りものニュース

海底に眠る「神通」発見される

 2019年4月26日(金)、戦艦「武蔵」や「比叡」など数々の旧日本海軍艦艇を発見してきた故ポール・アレン氏(2018年10月逝去)の沈没船捜索チームが、今度は軽巡洋艦「神通(じんつう)」を発見、Facebookで公開しました。沈没地点は、南太平洋ソロモン諸島中部にあるコロンバンガラ島の北東沖で、水深は900mとのことです。

【地図】「神通」の眠るソロモン諸島コロンバンガラ島沖とその周辺図

 実はこの「神通」、常に第一線で戦い続けていたため、太平洋戦争開戦後の写真がほとんどなく、今回の発見によってようやく戦争中の外観の詳細が判明したのです。

 そもそも「神通」は、通称「5500トン型軽巡」(トン数は常備排水量)と呼ばれる川内(せんだい)型軽巡洋艦の3番艦として1920(大正9)年に建造が計画され、神戸において1923(大正12)年12月8日に進水し、1925(大正14)年7月31日に竣工しました。この間、「神通」に先行して横浜で起工していた同型の軽巡「那珂(なか)」が、1923年9月1日の関東大震災にて被災、いったん解体したうえで再起工となります。これにより「那珂」の工期が大幅に遅れたことから、「神通」が先に進水することになり、その結果、川内型軽巡の2番艦へ繰り上がったのです。

 こうして「神通」は竣工とともに呉鎮守府籍に入り、日本海軍のいち戦力となったのですが、それから2年後の1927(昭和2)年8月24日に起きた、いわゆる「美保関事件」で一躍、その名が世間に知られることとなりました。

事件事故で3度も変身

「美保関事件」とは、日本海での艦隊演習中に起きた悲劇的事件のことです。当時、日本海軍は「ワシントン海軍軍縮条約」の制限によるアメリカ、イギリスとの戦力的劣勢を補うため、日夜猛訓練を繰り返していました。

 特に重視されたのが夜戦訓練だったのですが、当然、夜間は昼間と違って視界が狭くなり、見通しもきかなくなるため、危険性は増大します。そうしたなか1927(昭和2)年8月24日夜半、島根県東端の美保関(地蔵崎)沖合にて、無灯火で夜間演習中だった「神通」は、暗夜の中で駆逐艦「蕨(わらび)」と衝突し、同艦を沈没させてしまいました。しかもこの時、「神通」を回避しようとした僚艦の「那珂」も、同じく「蕨」の僚艦「葦(あし)」と衝突してしまったのです。

「神通」は艦首下部を大きく失うほどの損傷を受け、とりあえず一番近い鎮守府である舞鶴で修理を受けました。この時に、従来の「スプーンバウ」(艦首の形のひとつ)は凌波性(波をしのいで艦が安定し航走できる性能)が悪かったために、近代的な「ダブルカーブドバウ」へ改められ、これによりほかの5500トン軽巡とは艦形を異にしています。

 そして1932(昭和7)年初頭には、艦橋前面に水上機射出用のカタパルトを装備する工事を受け、さらにその運用結果などから、1933(昭和8)年11月から翌34(昭和9)年7月までの大規模改装において、カタパルトを艦体後部に移設し、それにともなって後部マストの大型化並びに水上機揚収用のデリック(クレーンの一種)の増設、後部の七番主砲の移設、甲板の拡大などが行われました。そして、これら一連の改装で排水量は当初の約5500トンから約7000トンにまで増えています。

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最終更新:5/11(土) 19:55
乗りものニュース

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