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三菱自動車のガバナンスは一体誰の手に?

5/11(土) 15:07配信

ニュースイッチ

「指名委員会等設置会社」に移行も

 三菱自動車が「指名委員会等設置会社」に移行する。6月下旬に予定する定時株主総会で、移行に必要な定款変更をする。承認されれば、国内の自動車メーカーでは初めてとなる。取締役会への監督機能を強化し、コーポレートガバナンス(企業統治)の透明性を確保するのが狙いだ。過去、外資に振り回された苦い経験を持つが…。

 益子修会長兼最高経営責任者(CEO)は「グローバルで戦うために、ガバナンス体制を整える」と話す。人選など詳細は今後詰める。取締役の選任や解任議案を決める「指名委員会」や取締役の報酬を決める「報酬委員会」を設置し委員の過半数を社外取締役から選任する。

 三菱自と提携関係にある日産自動車も元会長のカルロス・ゴーン被告の逮捕を受けて、指名委員会等設置会社への移行を進めている。6月下旬開催の定時株主総会に向け準備を急いでおり、ゴーン被告が率いた旧体制から脱却する節目になる。一方、筆頭株主の仏ルノーが日産に経営統合を提案。ルノーは“ゴーン後”も日産への主導権を維持したい考えとみられ、その言動は日産・三菱自のガバナンスの波乱要因になる。

DC傘下時代に「空白の4年」を経験

 空白の4年―。ある三菱自動車関係者はダイムラークライスラー(DC=現ドイツ・ダイムラー)傘下の期間をこう振り返る。DCが資本参加したのは2000年。当初計画では07年度に子会社化する方針だったが、再建がなかなか進まない三菱自に業を煮やし、04年11月には経営権を手放した。

 三菱自を支配したのはわずかな期間ながら、DCという強い“原色”は、淡い三菱色をすっかり塗り替えた。三菱自はDCの世界戦略の中に組み込まれ、DCにとっての最適という前提で事業が進められた。資本の論理の前に、三菱自の独自性は完全に消えうせた。その後、DCの文化を払拭するのに時間がかかった。

 国際的な“再編地図”に飛び込む中で、三菱自にとってDCの登場自体は“功”であったものの、4年後には”罪“に帰結した原因は、あまりにもDCの拡大戦略に振り回されたことだ。

 中でも不振に陥った北米事業はその象徴。“量”を求めたDCの指示のもと、三菱自はなりふり構わない拡大戦略に打って出た。「頭金なし・利息なし・6カ月間返済なし」という「ゼロ・ゼロ・ゼロ」キャンペーンは一時的な販売台数の増加をもたらしたが、あとに残ったものは販売債権の不良債権化だった。
 
 DC傘下の時代、現地法人をまったくコントロールできず、巨額な損失を招いた苦い経験から、ローカルオペレーションは現地に任せても良いが、コーポレートガバナンスは日本人が実施すべき、という考えが支配するようになった。

 その後、燃費不正問題を契機に16年から日産傘下に入り、さらにゴーン氏の逮捕でルノーを含めた3社連合の体制が揺れている。DC傘下時代からトップも務めている益子氏。さまざまな教訓と経験を今度こそ生かすことができるだろうか。

最終更新:5/11(土) 15:07
ニュースイッチ

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