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北京五輪400メートルリレー銀メダリストになった4人、次代へつなぎたい思い

5/13(月) 5:00配信

産経新聞

 2008年北京五輪陸上男子400メートルリレー日本代表の順位が3位から2位に繰り上がり、銀メダルの授与式が12日、横浜市の日産スタジアムで行われた。北京五輪の検体のドーピング再検査で、優勝したジャマイカ選手が失格となったための順位変更。レースから10年以上を経て、塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治の4人は多くの陸上ファンの前で真のメダルを首に掛けた。

 授与式前には記者会見が行われ、4人はそれぞれの思いを口にした。言葉の端々には、彼らが生きてきた時間と、次代への「つなぎたい思い」がにじんでいた。

 朝原「気持ちをまた新たに、今日から銀メダリストとして生きていくということで、今はうれしく思っている。素直に銀メダルに昇格したことは喜ばしいことでうれしい。一方で、『ルールをしっかり守る』というスポーツの基本的なところ、これから違反者がなくなるようなスポーツ界になることを切に願っている。

 (400メートルリレーの)決勝に行かれた先輩がいて、次はメダルだということでやってきて、やっと私たちがメダルを取れた。先輩たちの影響で、非常に自信を持って戦ったことが後輩たちにも伝わり、東京五輪でいうと、(現役の)選手の口から『金メダル』という言葉が出るチームになっている。非常にうれしい。これが途切れたり競技自体が衰退すると、私たちがやっていたことが評価されない。今、良い循環で繁栄してきているのは非常にうれしい。

 世界の壁が高くて(メダルを)取れない、不可能なんじゃないかという思いが膨らんできて、それでも諦めずにずっとやってきて、最後に(北京五輪で)チャンスがめぐってきた。メダルが取れたことで、(後進の)世界の常識が変わったんじゃないかなという認識がある。そういう影響を与えたレースだったと評価していただきたい」

 末続「単純な感情じゃないが、複雑な感情も含めて銀メダリストとして生きていく。過去、11年も銅メダリストとして生きてきたので、これからも変わらず、1年1年、銀メダリストになっていければ。

 挑戦と失敗は紙一重。(11日の予選で)桐生祥秀君が『気の緩みがあった』と言っていたが、そういう風に、みんなの前で言葉にする気概があるチーム。どういう思いで、どういう意図で、このレースに出ていたかが伝わるレースだった。何がしたいかが伝わるレースを積み重ねていけば、東京五輪の時に、自分たちが何をしたいという思いを(表現)できて、最高の成績につながるのではないかと思う。バトンパスを精度を上げていく必要があると思う。

 11年前に銅メダルを取って、また4人で話す機会が今回あった。(メダルは)大きくおのおのの人生に関わっていて、その人間に関わった人にも関わっている。見た人間を喜ばすことも笑わせたりもできる。メダリストとして求められたこともたくさんある。人の生き方を変えてしまうくらいの力がある。メダルを取った後に本来のメダリストになっていくということは、その後の人生に大きく影響する。歴史の証。数え切れないほどの人の人生に関わっているので、やはり銅メダル、銀メダルは価値があるもの」

 高平「身の引き締まる思いを11年後にすることになった。2008年は嫌と言うほどメンバーで過ごしたが、(今は)年に数回会うか、会わないかの中で、こうして集まれることをうれしく思っている。(リザーブだった)斎藤仁志君も会場に来てくれているみたいなので、どこかで見てくれているのかなと。サブのメンバーやスタッフに改めて感謝申し上げたい。

 山県亮太君だったり、ロンドン五輪の時にもリレーを組んだメンバーがすごく成長してくれているなと思っている。私たちの時と違うのは、メダルを取って当たり前という種目に進化している。さらにステップアップした場所でどう戦っていくかというプレッシャーだったり重圧だったりに、どう耐えていくか。チームとして、組織として大事になってくる。こういう形で銀メダルになっているが、文句なしで金メダル、変わらない物を取ってくれることを願っている。

 メダリストとして、どう生きていけるかを示す指針になっていかないといけないのかなと。今、色々な場所で活動しているけど、われわれは自分の夢や目標を追いかけ続けてメダルを獲得した。五輪でのメダルがゴールではなく、人間力をどう磨けているか。自分の中で『戒め』を持ちながら活動に取り組んできた。後輩にさらなる素晴らしい世界を見せてあげられるような、そういったバトンがつながっていけば」

 塚原「10年、11年たとうと、真のメダリストという意味では、これからまた新たな人生を築き上げていかないといけない。銅メダリストとして積み上げてきたものを引き継いで、生きていきたい。

 桐生君なんかは、2008年の(北京五輪の)レースを見て、世界で戦えるんだと感じてもらって、僕らを目指して越えていく、憧れの存在だったと言ってくれている。そういったメンバーたちにステップアップしてもらって、(自分たちが)活動を支えられるような立場になっていくことが陸上界の発展につながる。

 (11日の予選に)慢心は感じられなかった。個人個人の技術力が足りなかった部分もあると思っていて、たまたまかみ合わなかっただけ。原因追及が次に大事になる。

 メダルを取った瞬間は、まだメダルとしての価値はないと思った。(当時)僕は初代表で、何のバックグラウンドもない中で取った。足を痛めていて、それを絶対にマイナスにしたくなかった。第一走者としての役割、重責。日本代表である以上は『初めてだから』とか『しようがないよね』といわれたくないからこそ、朝原さんまでバトンをつなげようとぶっ飛んでやった。

 今、メダルを持って、育ててもらっている気持ちはすごくある。取った瞬間から、いろいろな人と出会うことでメダルの影響力がすごいんだなと。銀メダルになったことで、人としての価値を高めていかないといけないと思っている」

最終更新:5/13(月) 5:00
産経新聞

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