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時代を超え“記録”が蘇らせるAK砲

5/13(月) 18:30配信

ベースボールキング

白球つれづれ2019~第19回・時代を彩った名コンビ~

 西武の山川穂高が12日の日本ハム戦で日本人最速の100号本塁打を記録した。過去の記録は1987年に秋山幸二が打ちたてた351試合だが、山川はそれより30試合早い321試合での到達だ。大学(富士大)卒の山川は6年目の27歳。プロ入り後2年は成績を残せず、ようやく一軍で認められはじめたのが16年から。真の大ブレークは昨年の47本塁打とMVP。わずか3年ちょっとでの大台突破は見事な成長曲線である。

 ヤクルトの村上宗隆は、同日の巨人戦で球団史上最速の19歳3カ月で4番打者という記録を作った。10代の4番記録は1987年8月の清原和博以来32年ぶりだが、清原は前年のルーキーイヤーにも4試合、4番を務めている。上には上がいるものだ。

 期せずして、名前が出てきた秋山と清原。1980年代から90年代にかけて西武の黄金期を築いた主力が「AK砲」として各球団を震え上がらせた時代にタイムスリップしてみたい。

憧れのバック宙も

 共に球史に名を残した両雄だが、プロ入り後の歩んだ道は好対照と言える。先に入団したのは秋山。1981年のドラフト外、背番号は「71」からのスタートだった。と言ってもドラフトにかからなかったのは大学進学説が有力だったため。当時の球団管理部長で「剛腕の寝業師」と呼ばれた根本陸夫が暗躍した出来レースというやっかみの声も他球団から聞こえた。

 秋山の成長は米国への野球留学が大きい。1Aのサンノゼ・ビーズと業務契約を結ぶ西武は当時、毎年のように有望選手を派遣して心身を鍛えてきた。10時間を超すバスの移動、ハンバーガーひとつの昼食。こうした環境に身を置くことで技術以外のハングリー精神も叩き込まれた。

 秋山の特徴は、走攻守どれをとっても規格外のスピードスター。今でこそ山田哲人(ヤクルト)や柳田悠岐(ソフトバンク)らで認知度の上がった「トリプルスリー」を89年に記録、史上初の40本塁打40盗塁まであと一歩に迫ったレジェンドである。

 今年、ソフトバンクの明石健志がサヨナラホームランを放った際に「バック宙」でホームインしたが、これの元祖も秋山。1986年広島との日本シリーズで並外れた身体能力を証明した。それから30年以上たっても「あの姿が憧れでした」と明石が再現するのだから、記録と記憶に残るスターと言えるだろう。

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最終更新:5/13(月) 18:30
ベースボールキング

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