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「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録へ~一方で「仁徳天皇陵」?「大山古墳」?表記バラバラの謎

5/14(火) 19:40配信

ABCテレビ

ABCテレビアナウンサー・澤田有也佳が気になったニュースを調べて、最後の1枚に渾身のイラストをつけてお伝えする「お絵描きニュースそもそものトコロ」。

「仁徳陵」「大山古墳」「伝仁徳陵」と表記がバラバラ

今日のテーマは、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録が確実になったというニュース。14日の朝刊の見出しを見て、疑問が浮かびました。

読売新聞「仁徳陵 世界遺産へ」
毎日新聞「大山古墳など49基」
朝日新聞「伝仁徳陵 世界遺産へ」

「百舌鳥・古市古墳群」 の中で一番大きい、「あの古墳」の名称が見出しになっているんですが、表記がバラバラなんです。年齢が高めのみなさんは、歴史の時間に「仁徳天皇陵」と習った、日本最大の古墳。文化庁が世界遺産登録のために提出した資料にも、「仁徳天皇陵古墳」という名称で書かれているんですが、どうして、こんなふうに分かれてしまうんでしょうか。

文化庁資料にも性質の違う名称がごちゃまぜに

古墳の名前には“埋葬者”とされる人物をもとに宮内庁が名付ける「陵墓名」と、地域に伝わる古い地名などをもとに研究者が名付ける「遺跡名」があります。あの「一番大きな古墳」の陵墓名は「仁徳天皇陵」、遺跡名は「大山古墳」です。文化庁の資料は、「仁徳天皇陵」については「仁徳天皇陵古墳」と陵墓名を書いているのですが、他の古墳については遺跡名で書いていて、性質が違う2つの名前が混在しています。

もしかしたら、あの「めっちゃ大きいお墓」は「仁徳天皇陵」じゃないかも・・・

天皇陵研究の第一人者、関西大学 文学部 非常勤講師・今尾文昭さんは、「文化庁が『仁徳天皇陵古墳』と表記したことは問題」だとおっしゃいます。なぜなら、研究者からは、「仁徳天皇陵」が仁徳天皇のお墓かどうかを疑問視する指摘があるからです。
実は、「仁徳天皇陵」が仁徳天皇のものであることを示す、直接的な証拠は見つかっていません。唯一、平安時代の『延喜式』という書物に、記載があるのですが、「このあたりに仁徳天皇のめっちゃ大きいお墓がある」という意味の内容が書かれているだけ。めっちゃ大きいのは大きいですが、大きい古墳はいくつもあるので「決め手」に欠けると言えなくもありません。
さらに、近くにある別の「履中天皇陵古墳」との関係をめぐっても疑問があります。履中天皇は、仁徳天皇の息子にあたるんですが、古墳の埴輪を比べると、”息子の墓”に置かれている埴輪の方が、”父親の墓”のものより、ずいぶん古い。矛盾しているのです。
こういったことを受けて、昔は「仁徳天皇陵」と教えていた歴史の教科書にも変化が表れています。25年前のものには「仁徳陵古墳(大山古墳)」とあったものが、今は「大仙古墳(仁徳陵古墳)」と逆の表記になっています。
本当かどうかまだ確定的でないのに、世界遺産登録で「仁徳天皇陵」と書かれてしまうと、それが独り歩きしてしまうので、今尾さんは「『大仙古墳(仁徳陵古墳)』と併記するのが望ましい」とおっしゃいます。

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最終更新:5/14(火) 19:40
ABCテレビ

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