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【談志を語る】三遊亭円楽、師匠の葬儀直後に思い出を語り合った大切な夜

5/16(木) 11:04配信

スポーツ報知

 昭和、平成と時代を駆け抜けた落語家・立川談志は2011年11月21日に喉頭がんのため75歳で亡くなった。落語家初の参院議員を務め、落語協会を脱退し立川流を創設、家元になるなど破天荒な生き方を貫いた。熱狂的なファンを獲得し、多くの落語家に影響を与えた天才だった。ゆかりの人が談志を語る。=敬称略=

【写真】弟子のビートたけしとともに披露口上を行った立川談志

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 落語家・三遊亭円楽(69)は立川談志の弟子でもあった!? 談志は落語協会を脱退し落語立川流を設立した。ビートたけし、高田文夫、上岡龍太郎らが、有名人のBコースに入門して立川を名乗った。楽太郎時代の円楽もその一人だった。

◆立川流にも名を連ねていた

 「2万円払ったら入れてくれるんですか?」「入れるよ」「入れてください」。楽屋でやりとりした。

 「何でだ?」談志から理由を問われると「一人二人会をやりたいんです。三遊亭楽太郎できれいな着物を着て丁寧に落語をやるんです。立川なにがしで、きたねえ着物を着てヘタクソにやるんです」と答えた。

 談志は苦笑いで「立川の名前を地に落とすなバカ野郎」と毒づいたが、後日、直筆のはがきが届いた。「三遊亭楽太郎こと立川談次郎 どうだ、いいだろう」。談次郎の名前で高座には上がっていない。「ふざけて遊んだだけ。シャレですよ」。それでもシャレに対してシャレで返してくれた談志さんに感謝している。

 前座時代から談志にかわいがられた。東横落語会の楽屋だった。トリを務め戻って来た談志は高座の出来に納得がいかなかった。「ウチを出るときはやる気があったけど、だんだんイヤになっちゃった。ひでえのやっちゃったな」。周りは「そんなことないです」と取りなす人ばかり。談志と目があった楽太郎は「師匠は飽きているんですよ。『立川談志はもっとできるはず』だと…。師匠がやっていればそれだけでいいんです。お客さんは立川談志を聞きに来ているんだから、普通にやればいいじゃないですか」。すると談志は「お前に言われるとは思わなかった。悔しいネ」。それから、談志は「楽太」と呼びかわいがった。

 自宅にも伺い、「三方一両損」などの落語の稽古も付けてもらった。まるでストーカーのようにつきまとうと、談志は問いかけた「お前、オレの後をずっと付けてくるけどどうしてだ?」。「好きだからです」その言葉に談志さんはうなった。「ヨイショもそこまで来るとすごいな。そう言われちゃ、どうしようもねえな」ニヤリと笑った。

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最終更新:5/16(木) 11:04
スポーツ報知

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