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15年仙台育英夏の甲子園準Vのエースからプロ経てクラブへ激動の4年 サイドスロー変更への後悔

5/18(土) 11:04配信

東スポWeb

【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録(84)】2015年夏の甲子園、エースとして仙台育英を準優勝に導いた佐藤世那は今、プロでの早すぎる戦力外通告を受け止め、クラブチームで自らと向き合う日々を送る。東北勢の悲願“白河の関越え”にあと一歩まで迫ったあの夏、プロでのサイドスロー転向、そしてクラブチームという新天地を選んだ理由。東北の期待を背負った夏からの激動の4年を、21歳の右腕が明かした。

「プロでの3年はあっという間。『まさか』『なんで』という思いばかりで、今までやってきたことは全部意味がなかったと言われてるような気がした。勝負の世界ですが、体もできてなかったし、もっと長い目で見てくれるのかな、可能性を見いだしてくれるのかなと。結局は自分が中途半端でした」

 わずか4年前には、その右腕でチームを甲子園決勝まで導いた。その後のU―18では実質的なエースとして日本の準Vに貢献。輝かしい高校時代も、今となっては「出来過ぎでした」と本人は言う。

「甲子園もU―18も、たまたま運がよかった。僕個人の能力はドラフトでの順位が物語ってる。自分はプロでは3~4年かかる投手なのに、あの夏があったからこそ、焦って一人で空回りしてしまった」

 注目されたドラフトではオリックスから6位指名。実績からすると低い順位は「アーム式」と呼ばれる投球フォームに起因する。ヒジを柔らかく使うのではなく、腕を曲げずに遠心力で投げる佐藤の投法は「プロでは通用しない」「けがを誘発する」といったリスクが盛んに取り沙汰された。

 2年目のオフ、首脳陣はサイドスローへのフォーム転向を打診。最初は遊び心で投げてみてはと提案された。当時の投手事情からチームのためにも、悩んだ末に決断を下した。コーチ陣からは「焦るな」としきりに忠告を受けたが、そこから戦力外まで、時間は1年とかからなかった。

「今でも、アーム式のリスクはけがだけだと思う。それも今の医学やトレーナーの知識、自分のケアで何とでもなると思ってます。投げる投手が少ないというのはそれだけで武器になりますし、けがのリスクは多かれ少なかれ、どのフォームにもある。だからこそ、サイドに転向した後悔はある。今までこのフォームでお世話になった人たちを裏切ってしまった。自分の気持ちの弱さです」

 新天地には独立リーグではなく、あえてクラブチームを選択。「独立よりプロには遠いということもわかってる。でも、プロでの3年間はいろんな人にいろんなことを言われて、自分の思いを貫けなかった。一度リセットして、自分の意思を最優先できる環境に身を置きたかった。期限は来年まで。NPBに復帰できなければ、野球を続ける理由はないです」。周囲とのレベルや意識の違いに戸惑いながらも、再びプロの舞台を目指し、かつてのように力投を続けている。

「プロでは甲子園準優勝の肩書にとらわれて、もっと活躍しなければと焦ってしまった。自分一人でどうしようもなくなった今になって、初めてそれが財産になっている。出来過ぎだったあの夏を、今度は実力で越えたい」

 呪縛であり、財産であり、目標にもなった甲子園準V右腕の肩書。もう一度自らの信念を貫くため、あの日と同じダイナミックなフォームで佐藤は腕を振り続ける。 

 ☆さとう・せな 1997年6月2日生まれ、宮城県仙台市出身。南光台東小2年のとき野球を始め、その後、楽天イーグルスベースボールスクールに所属。秀光中では軟式野球部に所属。仙台育英では3年春夏と甲子園に出場し、3年夏に準優勝、その年のU―18でも日本代表の準優勝に貢献。2015年、ドラフト6位でオリックスに入団。18年に戦力外。現在は横浜球友クラブでプレーを続ける。181センチ、84キロ。右投げ右打ち。

最終更新:5/18(土) 14:10
東スポWeb

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