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DJ KOO、脳動脈瘤見つかり緊急手術。愛娘からは「健KOOでいてね」と手紙

5/18(土) 6:30配信

テレ朝POST

DJ KOOさん、ボーカルのYU-KIさん、ダンサーのSAMさん、ETSUさん、CHIHARUさんの5人が固定メンバーとなり、1993年に2枚目のシングル『EZ DO DANCE』が大ヒットを記録したtrf(現在はTRF)は、瞬く間に日本の音楽界を席巻する。

さらに『愛がもう少し欲しいよ』『Silver and Gold dance』『寒い夜だから』の3曲をほとんど同時期にリリースするという画期的な手法にもチャレンジ。唯一無二のグループとして注目を集める存在になっていく。

◆大ヒット連発でも“バブル崩壊”のトラウマで安心できなかった

-次々と大ヒットを記録して誰もが知る存在になっていったわけですが、そのときはどんな感じでした?-

「意外と冷静でしたね。ディスコのDJ時代の24歳のときに『ザ・ジェイジーズ』というリミックス・ユニットを結成して、色々と新しいことにチャレンジしたんですよ。日本で初めてノンストップ・ミックスのCDを作ったりしてね。だけど、結局ダメになって清掃業に携わるようになって…。

そのときって世間はバブル景気だったんですけど、短期間で“良い時”と“悪い時”の両方を体験したので、『TRFの成功もいつまでも続かないかもしれない。浮かれちゃダメだ。とにかく今を一生懸命やろう』と思っていましたね」

-メンバーの皆さんそれぞれが得意とするジャンルを持っているというグループの先駆け的存在でもありました-

「そうですね。僕は小室さんの近くにずっと一緒にいられたので、その小室さんが言っていることを把握してみんなに伝えるっていうような役柄だったんですけど、やっぱりそこで見ていたものはすごかったですね」

―TRFのメンバーになってからも小室さんのアシスタントはやっていたのですか?-

「やっていました。だからTRF以外のほかの現場も経験できていたので、クリエイターとしての修業もしているという感じでしたね。

最初は小室さんもレコーディングを外のスタジオでやっていたんですけれども、忙しくなってきて、やっぱり自分のスタジオを作るっていうことになってスタジオを作ったんですよ。

そのときも小室さんと一緒にいろんなスタジオに行って機材を選んだりしてね。それで出来上がったスタジオで最初にレコーディングをしたのが『BOY MEETS GIRL』だったんですよ。そのスタジオが今度は二つになって、それから三つ、四つになるまでは早かったですよ」

-次々と小室ファミリーのアーティストが登場しました-

「そうですね。それで別のフロアにそれを実際に聴くクラブみたいな感じのスペースを作ったりしました。

だからそのときにはこっちのスタジオでは『東京パフォーマンスドール』だった篠原涼子ちゃんが『恋しさと せつなさと 心強さと』を歌っていて、こっちのスタジオでは初めてTK(小室哲哉)にプロデュースされる安室奈美恵ちゃんが第一弾の曲を歌っていて、それと同時にglobeのKEIKOが詩を合わせているとか、そういうのがもう日常茶飯事でしたよ。同じフロアのスタジオでいくつもそういうことがありました」

-あの時代はもう小室ファミリー一色でしたね-

「そうですね。歌番組とかもすごく激烈でしたね。だって小室ファミリーはいるわ、ロックはビジュアル系のLUNA SEA(ルナシー)とかTHE YELLOW MONKEYとかいるじゃないですか。

それにドリカム(DREAMS COME TRUE)とかB’zもいたりするしね。当時はオリコンで連続1位とかそういうことにこだわったりしたんですよ。だから、『新曲の発売日がB’zとミスチル(Mr.Children)とTRFとこれ重なるぜ』みたいなことで結構大変だったりしました(笑)。ずらしたくてもそれぞれ会社の都合もありますからね(笑)」

今年で26年目を迎えたTRF。5人のメンバーそれぞれが、おのおののシーンで実績を積んで活躍をしているプロ意識の高い集団であり、互いに「信頼し合っている」というのが、リーダーであるKOOさんの誇りだという。

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最終更新:5/18(土) 6:30
テレ朝POST

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