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大熊町の熊川稚児鹿舞(5月19日)

5/19(日) 9:57配信

福島民報

 大熊町の熊川稚児鹿[しし]舞では四人の子どもたちが鹿[しし]役を務める。

 平成二十三(二〇一一)年三月十一日の地震と津波、そして、その後に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故により、大熊町の人たちは全員、町外への避難を余儀なくされ、互いの所在や安否が確認できない状態に陥った。

 しかし、次第に連絡が取れるようになり、震災から一年五カ月後の平成二十四(二〇一二)年八月十八日、熊川稚児鹿舞保存会の会員たちが郡山に集まり、鹿舞の存続について話し合った。「皆が避難し、バラバラだ」「鹿舞を続けても仕方がないのではないか」との意見も出された。しかし、「先祖が苦労して伝えてきた鹿舞を絶やすことはできない」「先々のことは見通せないが、今、やれることはしっかりとやっていこう」ということになり、鹿舞の復活に向け、歩み出すことになった。

 鹿役を務める四人の子どもたちが選出され、平成二十五(二〇一三)年四月十三日、会津若松の長原応急仮設住宅の集会所で、震災後、初めての練習が行われた。その後、一年三カ月の間、月に二日ずつ、会津若松やいわきで、こつこつと練習が積み重ねられた。

 そして、平成二十六(二〇一四)年七月二十日、「おおくま・甲和会合同夏まつりin長原」という催しの場で、東日本大震災という大きな苦難を乗り越え、鹿舞は四年ぶりの復活を遂げた。

 祝詞[のりと]奏上[そうじょう]などの神事が行われた後の午後六時十分、鹿役の子どもたちが鹿頭[ししがしら]を被[かぶ]り、色鮮やかな尾っぽを付け、鹿舞を舞った。

 会場には避難生活を送る大熊町の人たちがたくさん集まり、子どもたちが懸命に鹿舞を舞う姿に涙を浮かべた。鹿たちに両手を合わせる人もいた。「頑張ったね。ありがとう」と、鹿役の子どもたちに御祝儀を渡す人もいた。

 鹿舞を終えた鹿役の子どもたちは「舞がきちんとできて、ほっとした」と感想を述べ、さらに「熊川に戻ったような気持ちになった、ふるさとに戻りたいと思ったと言われた」とも口にした。

 その後、九月に開催された「ふたばワールド二〇一四inかわうち」や十月の「大熊町ふるさとまつりin会津」、「ふるさとの祭り二〇一四」、「第五回伝統芸能フォーラムinいわき」、さらには、十一月に挙行された「大熊町町制施行六十周年記念式典」や「大熊町ふるさとまつりinいわき」でも、鹿舞が披露された。

 また、平成二十七(二〇一五)年八月二十二日には、いわき市平沼ノ内地区の人たちの力添えを得て、沼ノ内の諏訪神社の神前で鹿舞を奉納することができた。

 そして、平成三十一(二〇一九)年四月十日、大熊町の大川原や中屋敷地区の避難指示が解除され、四月十四日には新たに整備された町役場の開庁式が行われたが、その折りにも鹿舞(この時は子どもに代わり、大人が鹿役を務めた)が披露された。そして、五月七日、新役場での業務が始まった。

 大熊町のこれからを鹿[しし]たちが見守っている。(夏井芳徳 医療創生大学客員教授)

最終更新:5/19(日) 9:57
福島民報

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