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ピカソ訪問の伝説を語るアフリカの村人たち、コートジボワール

5/19(日) 16:01配信

AFPBB News

(c)AFPBB News

【5月19日 AFP】仮面をつけた人物や動物を描いた布で有名なコートジボワールのファカハ(Fakaha)は、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)が訪れたとうわさされている小さな村だ。

 60代の村の住民、ソロ・ナバギ(Soro Navaghi)さんは、この真偽をめぐる論争に決着をつける意気込みで「絶対確かだ。彼はここに来た。私は見た」と主張する。

 観光案内のパンフレットやインターネットには、経済の中心都市アビジャン(Abidjan)から約650キロ離れた遠い北部のこの村にピカソが訪れたとの話があふれている。フランスの旅行ガイド「プティフュテ(Petit Fute)」はファカハについて、セヌホ(Senufo)人が絵を描いた手紡ぎ木綿の布で「世界的に有名な地」と紹介、ピカソらしき人物の訪問にも言及している。

 アフリカとピカソに関する一つの伝説ができあがったが、ピカソ本人はファカハ訪問について一度も語ったことがなかった。だが多くの美術評論家は、アフリカの彫刻とピカソの作品の一部の類似性を取り上げ、アフリカの象徴性と心象がピカソのインスピレーションの源泉の一つだと解釈している。

■上半身裸で靴も履かずに

 ファカハの住民数百人は、スペイン・アンダルシア(Andalusia)地方出身の著名な画家・彫刻家のピカソが、コルホゴ(Korhogo)への幹線道路から約15キロ離れたこの村を偶然見つけ、ここで着想を得たことを信じて疑わない。

 そしてピカソの作品とファカハの画家たちの作品の間には明白な類似性がある。

 ソロさんは「彼はここに来た。われわれに刺激されたんだ」と繰り返す。

 ピカソはコルホゴへ向かう途中に車が故障し、徒歩で進むうちに「上半身裸で靴も履かない」姿で村に現れたのだという。

■ピカソの自画像?

 村の画家の一人、シルエ・ナガンキ(Silue Naganki)さんは「スポンジと歯ブラシを使えばもっと早く緻密に描けることを、彼が私たちに教えてくれた」と語る。

 ソロさんが家の中から持ち出してきた「究極の証拠」は、ピカソその人が描かれた木綿のキャンバスだ。キャンバスいっぱいに、はげ頭の白人男性が時には半ズボン姿、時には腰みのをつけた格好で、鉛筆や絵筆、さらには小枝を握っている様子がさまざまに描かれている。

 ソロさんは、これは巨匠の自画像だと言い、疑う余地はまったく無い、素人にもはっきりピカソだと分かると断言した。

 このキャンバスには本物と自ら宣言する証明書が添えられており、旅行代理店が同地訪問の立ち会い証明として署名している。

 ピカソの伝記作家の一人であるジル・プラジ(Gilles Plazy)氏は、さまざまな要素を作品に取り入れたピカソは、この話にさぞ喜んだだろうとAFPに語った。ピカソがファカハを訪問し「魔法使いのように、地方の伝統芸術に新鮮な息吹を送り込んだ」という伝説は、「彼をとても喜ばせたに違いない素晴らしい物語だ」という。

■晩年

 ピカソは1973年に91歳で死去した。村の住民らは、ピカソが訪れたのは年齢的におそらく1968年より前だろうという。

 ピカソは死ぬまで制作活動を続けたが、アフリカの影響が作品に現れているのは晩年だけではない。

 それでも村の若者の一人は、もしファカハ訪問の痕跡が残っていないとしたら、それはピカソが訪問について隠しておきたかったからで、ファカハで着想を得たことを公にしたくなかったからだと説明する。

■ピカソのなりすまし?

 ピカソのファカハ訪問が事実だとすると、ピカソはアビジャンまで船で渡り、そこから1000キロの道のりを、太陽をさえぎるものがほとんどない、焼け付く乾いた道路を旅したことになる。むしろ探検家にふさわしい冒険だ。そのような大掛かりな旅は少なくとも数か月を要し、特筆した伝記もありそうなものだ。

 それでも、この話には謎めいた興味を抱かせる要素がある。

 専門家の意見を求め、AFPはパリのピカソ美術館(Picasso Museum)に問い合わせたが、コメントは得られなかった。さらに数人の伝記作家とも話をしたが、彼らも見解を明らかにすることを拒んだ。

 コルホゴの街の住民が語ったある説は、その人物はピカソの偽者だったというものだ。ピカソにそっくりな人物が、彼のふりをして村人たちをだましたというのだ。

 それはそれで、なぜそんなことをしたのかという、別の疑問がわいてくる。映像は1、2月に撮影。(c)AFPBB News

最終更新:5/19(日) 16:01
AFPBB News

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