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スパイ疑惑をかけられながらも...中国”死の土地”で2000万人の飢えを救った日本人

5/20(月) 22:00配信

テレ東プラス

“アジアのノーベル賞“を受賞した日本人

今回注目したのは、中国で多くの人々を飢えから救った日本人。中国北部、モンゴルとの国境に位置する、恩格貝(おんかくばい)。かつて大飢饉で2000万人以上の難民を生み「死の土地」と呼ばれたこの地を蘇らせ、飢えに苦しむ貧しい人々を救った日本人男性がいた。

その人物は、マザー・テレサやダライ・ラマにも贈られた“アジアのノーベル賞“とも呼ばれるマグサイサイ賞を受賞。日本人ながら銅像まで建てられた。これは中国史上初めてのこと。しかも生前に銅像を建てられたのは、毛沢東と、この日本人男性の二人だけだという。

その日本人とは、遠山正瑛さん。遠山さんが成し遂げた歴史的偉業とは、どのようなものだったのか?

1906年(明治39年)、現在の山梨県富士吉田市に生まれた遠山さん。父は戦地に駆り出され、母が女手一つで大家族を養っていた。収入は乏しく、食べ物にも事欠く貧しい生活。

母を助けるため、子供の頃から山菜やキノコを採っていた遠山さん。集めた食材を使った食事で笑顔になる家族を見て、皆をお腹いっぱい幸せにするためには農業こそが大事だと思うように。

中学から猛勉強を始め、京都大学農学部に合格。卒業後は京大で助手として勤務していた遠山さんだが、28歳の時に人生を変える出来事が。外務省から、中国の土地と農業の調査研究留学の話が舞い込んだのだ。日中関係が一触即発の状況にある中、中国のとある村へ留学した。

中国で困窮する人々を目の当たりに

留学先で見たのは、炊き出しのお粥一杯を求め、人々が数十キロの行列に並ぶ光景。当時、中国ではゴビ砂漠が農地を侵食し、作物がとれず困窮。2000万人以上が餓死していた。

この光景に呆然とする遠山さんに、親子が声をかけてきた。

「この子は15歳だ。一生あなたのそばでタダ働きするから30円で買ってくれ!」

父親が幼い子供たちの飢えをしのぐために、わずか30円(現在の3万円)で娘を売ろうとしてきたのだ。遠山さんは「すまない!私にはできない!」と断るが、その出来事はずっと心に残ることに。

砂漠をなんとかして、人々を救いたい......。自分に今できることは何か。出した結論は、砂漠を緑に変え、食べ物を作ることだった。しかし2年後、日中戦争が勃発し退去命令により帰国。戦争終結後も国交はなく、中国へ行けなかった。砂漠の農地化を夢見て35年が過ぎ、農学者として勤務していた大学を定年退職。その翌年、思わぬ転機が訪れる。日中国交正常化だ。

遠山さんは家族を日本に残し、私財を投げ打って単身中国に渡った。現地へ向かうと、かつて村があった場所はゴーストタウンに。中国政府も砂漠化を食い止められず匙を投げたという。

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最終更新:5/20(月) 22:00
テレ東プラス

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