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「全打順本塁打」達成者は全員がパ・リーグ経験者 11人から見える傾向とは?

5/20(月) 7:05配信

Full-Count

指名打者制度の有無が、記録達成の難易度にも大きく影響?

 4月20日、楽天の島内宏明選手が史上11人目の全打順本塁打を達成した。達成人数を見てもわかるとおり、この記録は70年以上の歴史を誇るNPBにおいてもかなり希少な部類に入るものだ。

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 そして、この記録を達成した選手たちの経歴を確認してみると、興味深い事実が見えてきた。11人全員がパ・リーグ球団への在籍歴があり、福岡ソフトバンクへの移籍前に記録を達成した吉村裕基選手を除く全員がパ・リーグ球団在籍時に記録を達成しているのだ。

 ここまでの偏りがある背景としては、やはりパ・リーグが指名打者制度を採用していることが影響していると考えるのが自然だろう。稀に「8番・投手」という打順を採用したチームこそあるが、指名打者制度のないセ・リーグでは9番に投手以外の選手が入ることは少ない。そのため、セ・リーグのチームに所属している選手は、交流戦におけるビジターゲーム等の限られた機会でしか「9番での本塁打」を達成するチャンスがないのが現状だ。

 そして、達成者の顔ぶれを見ていくと、それ以外にもさまざまな傾向が見えてきた。そこで、今回は全打順本塁打を達成した11人の選手たちの通算成績と球歴を振り返り、この記録を達成するためには何が必要となってくるのかについて考察していきたい。

記録達成者は長きにわたって球界で活躍した実力者ばかり

○古屋英夫氏(日本ハム→阪神)
通算成績:実働15年 1521試合 1406安打 180本塁打 686打点 122盗塁 打率.273

 日本ハム(現・北海道日本ハム)で三塁手のレギュラーを務めた古屋氏は、勝負強い打撃と4度のゴールデングラブ賞に輝いた守備力を武器に、13年間にわたって活躍を続けた。1981年のリーグ優勝にも主力として貢献し、その年から4年連続で全試合出場も達成。1985年には33本塁打、96打点、打率.300の活躍で、最多勝利打点のタイトルも獲得した。高い打撃力に加えて通算122盗塁を記録した俊足も兼ね備え、「ボンバー」の愛称で親しまれた名選手だった。

○松永浩美氏(阪急・オリックス→阪神→ダイエー)
通算成績:実働17年 1816試合 1904安打 203本塁打 855打点 239盗塁 打率.293

 松永氏は1985年に38盗塁で盗塁王に輝いた俊足、通算7度の打率.300超えに加えて僅差で首位打者を逃すシーズンが2度もあった高い打撃技術、左右両打席本塁打を6度記録し、10年連続2桁本塁打を放った長打力といった要素を兼ね備えた万能選手だった。わずか4人しか達成していない2度のサイクル安打という偉業も成し遂げ、守備でも三塁手として4度のゴールデングラブ賞を獲得。走攻守の全てに優れた存在として一時代を築き、NPB史上屈指のスイッチヒッターとして躍動した。

○田中幸雄氏(日本ハム・北海道日本ハム)
通算成績:実働22年 2238試合 2012安打 287本塁打 1026打点 40盗塁 打率.262

 田中氏は通算13度の二桁本塁打を記録し1995年には打点王も受賞した打撃と、5度のゴールデングラブ賞に輝いた守備を武器に、リーグを代表する大型遊撃手として活躍した。多くのケガを乗り越え、苦戦の続いた東京時代のチームを大黒柱として支えた田中氏は、いつしか「ミスターファイターズ」と呼ばれる存在に。チームの顔として9度のオールスター出場を果たし、通算2000本安打と通算1000打点も共に達成。ファイターズ一筋、22年間の現役生活を全うした。

○堀幸一氏(ロッテ・千葉ロッテ)
通算成績:実働21年 2064試合 1827安打 183本塁打 810打点 133盗塁 打率.269

 堀氏はプロ3年目の1991年に初めて規定打席へ到達すると、そこから15年以上にわたって主力として活躍。メインの二塁以外にもチーム事情に応じて複数のポジションをこなし、1995年にはイチロー氏に次ぐリーグ2位の打率を記録した。芸術的な流し打ちはベテランの域に入っても健在で、2005年には自身3度目の打率.300超えを記録してリーグ優勝と日本一にも貢献した。21年間の現役生活をロッテ一筋で過ごし、東京時代を知る「最後のオリオンズ戦士」として長きにわたってチームを支え続けた。

○小川博文氏(オリックス→横浜)
通算成績:実働15年 1720試合 1406安打 100本塁打 597打点 64盗塁 打率.266

 小川氏はルーキーイヤーの1989年に早くも遊撃手の定位置を掴むと、そこから12年間にわたって内野のレギュラーとして活躍した。1994年には打率.303の好成績を残し、続く1995年からのリーグ2連覇、1996年の日本一にも主力として貢献。通算168犠打、54犠飛と小技もそつなくこなし、打線の潤滑油として機能した。決して派手な役回りではないながらもチームに欠かせない存在であったことは、オリックスが小川氏が入団した1989年から11年連続でAクラス入りを果たしているという事実からもうかがえよう。

○五十嵐章人氏(ロッテ・千葉ロッテ→オリックス→近鉄)
通算成績:実働13年 870試合 422安打 26本塁打 171打点 5盗塁 打率.234

 打撃成績こそ目立つものではなかったが、五十嵐氏は球史に残るユーティリティプレーヤーとして2つの希少な記録を達成した存在だ。内外野の7ポジションに柔軟に適応してチームの穴を埋め、1995年には退場で捕手が不在となったことを受けてマスクを被ったことも。そして、2000年にはなんと投手としてもマウンドを踏んだことにより、史上2人目の全ポジション出場を達成。「全打順本塁打」と「全ポジション出場」の両方を成し遂げたのは、長い日本プロ野球の歴史においても五十嵐氏ただ1人だけだ。

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最終更新:5/20(月) 7:05
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