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“三間坂駅の母”杉光さん勇退へ 見守り23年、不良のたまり場を憩いの場に 佐賀・武雄

5/20(月) 11:21配信

佐賀新聞

 23年間にわたって武雄市山内町のJR佐世保線三間坂駅の乗降客を見守り、駅を憩いの場に育ててきた同町の杉光俊子さん(85)が、5月で活動の第一線から退くことになった。「文句を言い合った不良少年と仲良くなったり、いろんな出会いがあり教わることも多かった」と杉光さん。活動を引き継ぐ人たちに「力まず自然体で、新たな活動を」とエールを送る。

 活動の始まりは1996年。駅が不良少年のたまり場になり、荒れてしまったことだった。「大戦のとき、戦地に赴く人を見送り、遺骨も迎えた。通学でも毎日使った思い出の駅の変わり果てた姿が悲しかった」。駅で少年たちに声を掛けた。「つばを吐いたりするから注意したら『くそババァ』って。追いかけて言い合うこともあった」。それでも、足しげく通ううちに「駅のおばちゃん」として親しまれるようになった。

 「駅で文化的なことがしたい」とJRに掛け合い、物置になっていた事務室を改修して部屋を造った。老人会や手芸教室、子どもたちの絵画の作品展などを開き、構内に花も植えた。「町の人やJRのOBとか、いろんな人に助けられた」

 知人らとボランティアグループ「悠」をつくり、昼間に交代で駅にいて、乗降客に声を掛けるようにした。すると、お茶を飲んだり寄贈された本を読んだり、駅は憩いの場になった。乗降客と顔なじみになり、高校生がパソコンを教えてくれるときもあった。障害のある人が列車を間違えないように見守ったりもした。

 活動費はフリーマーケットなどで捻出した。掃除や花壇づくりも続け、2001年には内閣府から表彰された。

 駅は16年3月、JRグループ会社への業務委託駅から無人駅に変わった。悠のメンバーも亡くなったり体調を崩したりして徐々に減っていった。昨年の活動は杉光さん1人になり、駅に行ける時間も少なくなった。「知り合いに助けを求めることもできたけれど、できれば世代交代をしたいから、声を掛けずに頑張ってきた」という。

 そんな折、町内の竹本信子さん(65)から声が掛かり、活動を引き継ぐことになった。6月からは町内の女性9人が交代で週5日程度、駅に通う。

 17日には“引き継ぎ会”も開かれ、杉光さんは「気軽に声を掛けてみて。その日その日の出会いが楽しくなるから」と後任にアドバイスをした。そして「私も時には出かけてきます。やめると言っても口出しする人間ですから。でも世代が違うから考え方も違う。みなさんの考えで運営して」と笑った。

最終更新:5/20(月) 11:21
佐賀新聞

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