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40年以上前に作った「こけし」今どこへ? 静岡の「生家」についに帰宅「これこれ…」

5/27(月) 7:00配信

withnews

 80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。旅にはさまざまな出会いがありますが、静岡県静岡市を訪れた山下さんは、ひょんな出会いからある「お願い」をされました。それは、とある「こけし」の数十年越しの「帰宅」です。

【画像】無事「生家」に帰ってきた「こけし」はこちら 静岡で出会った「ファンシー絵みやげ」も…

「ファンシー絵みやげ」とは?

 私は、日本中を旅しています。自分さがしではありません。「ファンシー絵みやげ」さがしです。

 「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。上記の写真リンクから画像を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。

 バブル時代をピークに、バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。

 私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。

 今回は前回に引き続き、静岡県静岡市の清水で保護活動を行っていたときの出来事です。

前回までのおさらい

 地元出身の侠客(きょうかく)として知られる、清水次郎長(しみずのじろちょう)や、三保の松原に残る「天女の羽衣伝説」にまつわるファンシー絵みやげを保護した山下メロ。

 更に名勝・日本平に向かうべく、ふもとの土産店を調査していると、土産店に商品を卸す問屋の社長に出会う。社長の厚意によって、初めて問屋さんの倉庫に足を踏み入れ大興奮。目的のファンシー絵みやげはわずかしか見つからなかったが、貴重な体験にホクホクしていると、社長からある話を聞くことになるーー。

お世話になった社長からの依頼

 3時間もかけ、質問などしながら倉庫を見終わった後でも、なお聞きたいことは止まりません。お土産業界の歴史について社長に色々と教えてもらう中で、これまでの会社の歩みについての話になりました。

 「うちは親の代の頃は、土産も作っていた。東北から職人さんを呼んで、作っていたのがこけし。この倉庫も、もともとはその工場だったけど、時代の流れでそれもやめて、今は自社で商品を作っていない」

 80~90年代に「ファンシー絵みやげ」が登場するまで、お土産といえばその土地にまつわる工芸品を売っていたのが主流でした。その時代に、静岡でこけしを作っていたというお話自体が非常に貴重です。

 「清水なので清水次郎長をモチーフにしたこけしをたくさん作った。清水一家28人衆というこけしの28体セットなんかもあったんだけど、もう会社に残っていないんだよね」

 社長は、表情ひとつ変えず何気なく話していましたが、実はそうでもないようでした。

 「そうだ、あなたはお土産を集めているんだったら、もしそれをどこかで見つけたら買ってきてくれないかな。会社に残しておきたい」

 予想だにしない、驚きの依頼をいただきました。ファンシー絵みやげを探して全国を回っている私ですが、こんなお願いをされたのは初めてです。むしろ「こけしは集めてる分野じゃないんだよな……」とも思いましたが、お世話になったので応えないわけにはいきません。

 「こけしはファンシー絵みやげよりファンも多いので、コレクターのツテをたどれば見つかるかもしれない……でも28体セットという珍品がそんなに簡単に見つかるのだろうか?」と思いながら、その日は東京に戻りました。

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最終更新:5/27(月) 8:57
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