ここから本文です

犯罪ハードボイルドの枠を押し広げた、女優メラニー・ロランの監督作『ガルヴェストン』

5/22(水) 10:25配信

CINEMORE

気鋭の犯罪作家とフランスの女性監督のコラボが決裂?

 映画『ガルヴェストン』のあらすじだけを知ると、懐かしい味わいのジャンル映画がやってきたと思うかも知れない。余命わずかと宣告された殺し屋が、組織のボスの裏切りに遭い、ティーンエイジャーの娼婦と一緒に逃避行をする。やがて殺し屋と娼婦の間に、男女とも疑似親子ともつかない愛情が芽生えていく……。

 この物語は『レオン』的というより、Vシネマ的なヤクザ物の典型パターンだ。やさぐれた犯罪者が、人生の最後に縁もゆかりもない少女を守ろうとするセンチメンタルなハードボイルド。しかし、本作の監督を務めたのがフランスの女優メラニー・ロランだと知れば、この映画が“よくあるジャンル映画”とは一線を画していると気づいてもらえるのではないか?

 そもそも『ガルヴェストン』の原作は、気鋭の犯罪小説家ニック・ピゾラットのデビュー作「逃亡のガルヴェストン」。ピゾラットの名前に馴染みがなくとも、異様かつハイクオリティな内容で絶賛されたドラマシリーズ「トゥルー・ディテクティブ」(14~)のクリエイターだと紹介すれば「おぉ!」となる人も多いはず。そのピゾラットが自ら脚本も手がけ、『最後の追跡』(16)、『足跡はかき消して』(18)などで近年評価がうなぎ上りの実力派俳優ベン・フォスターと、今をときめくエル・ファニングの主演で映画化されたのだ。

 ただし完成した作品に、ピゾラットの名は脚本クレジットに残っていない。脚本家として記載されているのはジム・ハメットという人物。おそらくハードボイルド小説の大家ジム・トンプソンとダシール・ハメットをミックスしたであろう、かなり安直な偽名だ。一体ピゾラットと製作陣の間にどんな問題が生じたのか? その舞台裏を探ると『ガルヴェストン』でメラニー・ロランが試みた果敢な挑戦が見えてくるのである。

十代の娼婦の複雑な内面をエル・ファニングが妙演

 1983年パリ生まれのメラニー・ロランは16歳で女優デビュー。日本で注目されたきっかけはクエンティン・タランティーノ監督作『イングロリアス・バスターズ』(09)のショシャナ役で、クリストファー・プラマ―がアカデミー賞を受賞した『人生はビギナーズ』(10)などハリウッドでも活躍している。映画監督業にも意欲的で、ドキュメンタリー作品『TOMORROW パーマネントライフを探して』(15)ではセザール賞にも輝いた。そんなロランが監督として初めて英語圏の作品を手がけたのが『ガルヴェストン』だ。

 『ガルヴェストン』の奇妙さは、ストーリーの九割以上が原作に忠実であり、大きな改変点は何もないにも関わらず、ピゾラットが脚本クレジットを拒否したことだ。その大きな理由になったと思われるのが、俳優たちとのコラボレーションを重視したロランの演出。ロランはベン・フォスター、エル・ファニングと一緒にキャラクターを掘り下げ、撮影現場で即興的にシーンを作ったり、脚本を改訂したりしたという。

 ただしそんなことは多くの現場で起きることだし、前述したように完成した作品は原作に忠実で、ロランがフランスから連れてきた撮影監督アルノー・ポーティエによる映像も非常に美しい。では原作者ピゾラットが「これは自分の作品ではない」と言った最大の理由は何だったのか? ピゾラットが公式に名言していない以上、原作として比較して類推するしかないのだが、エル・ファニングが演じたロッキーというヒロイン像にその鍵があるように思える。

 映画版の原作との最も大きな違いは、原作がハードボイルドの伝統に従い、あくまでもベン・フォスター演じる主人公ロイの視点で貫かれていることに対して、映画では、時折ロッキーしか知り得ない場面が挿入されることだ。ロイにとってのロッキーは、最初はやむを得ず道連れになった面倒なお荷物であり、(原作においては)性的な欲望を刺激する対象でもあり、次第に「彼女を守りたい」と願うかけがえのない存在になっていく。

 ただしロイはロッキーを自分の尺度で見ているだけで、決して彼女を理解はしない。ロッキーの悲惨な境遇に同情はしても、星の数ほどいる「無教養なホワイトトラッシュの少女」というステレオタイプのひとりだと思っているのである。

 おそらくロランは、ロッキーをロイが考えたような“分別のない10代の娼婦”として描くことを良しとしなかった。実際、映画オリジナルの要素のほとんどは、ストーリーを左右するのではなく、何気ない瞬間を捉えたものばかりだ。例えばロイのおかげで難を逃れたロッキーが、ひとりでシャワーを浴びながら泣くシーン。客を取るために着飾ったロッキーが、妹に自分はキレイかと訊くシーン。ロランはロッキーの持つ弱さ、葛藤、逞しさを、直截な打ち明け話などではなく、“ある光景”というビジュアルとして見せている。そしてロッキーに扮したエル・ファニングの多層的な演技が、ひとりの人間としてのロッキーを立体的に浮かび上がらせているのだ。

1/2ページ

最終更新:5/24(金) 10:14
CINEMORE

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事