ここから本文です

「どんなときも。」で見せたアーティスト・槇原敬之の本質を丁寧に作品へと映させた『君は誰と幸せなあくびをしますか。』

5/22(水) 19:02配信

OKMusic

“ボーっと生きてんじゃねーよ!”が昨年の流行語にも選ばれたことで知られるNHK総合のテレビ番組『チコちゃんに叱られる!』。その番組内で、縁側に座るチコちゃんと岡村隆史さんに視聴者からの手紙を届けている黒い鳥“キョエ”が、何とシングルをリリースした。5月22日に発売された「大好きって意味だよ」がそれ。作詞作曲は槇原敬之で、老若男女問わず誰もが口ずさめるような、彼らしい親しみやすい楽曲である。そんなわけで今週は、槇原敬之の初期作品にスポットを当ててみることにした。

「どんなときも。」発表後の2ndアルバム

アルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか。』を聴いてちょっと気になったことがあるので、改めて言うことでもないかなとは思いつつ、まずはそこから書こう。このアルバムはオープニングがM1「どんなときも。[インストゥルメンタル・ヴァージョン]」で、ラストがM11「どんなときも。」である。シングルがヒット中だったとあって、ここぞとばかりに同曲を推してきたのだろうが(ちなみにシングルは1991年6月10日発売で、アルバムは同年9月25日発売)、同曲をちゃんと聴いてみて、“やはり”と言うか何というか、具体性に乏しい歌詞であることを再確認した。いい意味で観念的というか概念的なのである。

《僕の背中は自分が思うより正直かい?/誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ/旅立つ僕の為にちかったあの夢は/古ぼけた教室のすみにおきざりのまま》《あの泥だらけのスニーカーじゃ追い越せないのは/電車でも時間でもなく僕かもしれないけど》
《もしも他の誰かを知らずに傷つけても/絶対ゆずれない夢が僕にはあるよ/“昔は良かったね”といつも口にしながら/生きて行くのは本当に嫌だから》《消えたいくらい辛い気持ち抱えていても/鏡の前笑ってみるまだ平気みたいだよ》(M11「どんなときも。」)。

《“昔は良かったね”》~《本当に嫌だから》なんて言っていることから過去に思いを寄せていることは分かる。《教室》や《スニーカー》というワードからするとその過去は学生時代のことであるとは推測できるけれども、どのくらい前のことなのか、中学校なのか高校なのかよく分からないし、もしかすると小学校なのかもしれない。

《どんなときもどんなときも/僕が僕らしくあるために/「好きなものは好き!」と/言えるきもち抱きしめてたい》《そしていつか誰かを愛し/その人を守れる強さを/自分の力に変えて行けるように》(M11「どんなときも。」)。

“好き”や“愛”という言葉もあるのでパッと聴きラブソングのように思ってしまう瞬間はあろうが、ここで《抱きしめてたい》と言っている《「好きなものは好き!」と/言えるきもち》は他者を対象としたものであるとは限定されていない。“愛”にしても《いつか誰かを愛し》なのだから、それはこの歌詞の中でリアルタイムに進行しているものではないようだし、《自分の力に変えて行けるように》とあるので──こう言っては何だが、物語というよりは、願望や決意と言っていいものである。少なくともラブソングと断言できるような要素はない。個人的には尾崎豊「僕が僕であるために」(1983年・アルバム『十七歳の地図』収録)に近いスタンスではないかと考える。…と思って、「僕が僕であるために」を聴き直してみたら、同曲には《別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ/こんなに愛していた》《慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ/こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから》とあるから、尾崎のほうはわりと恋愛要素が強かった。どちらがどうだというわけではないけれども、歌詞だけに話を絞れば、恋愛要素が薄い分、意外なことに「どんなときも。」のほうが硬派ではある(個人の感想です)。

1/3ページ

最終更新:5/22(水) 19:02
OKMusic

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事