ここから本文です

秀吉の本拠地「大阪城」でG20首脳たちが記念撮影?

5/24(金) 7:23配信

ハンギョレ新聞

壬辰倭乱起こした豊臣秀吉の本拠地 朝日新聞「韓国反発予想…調整の可能性も」

 日本政府が壬辰倭乱(日本では「文禄・慶長の役」と言い、かつては「朝鮮征伐」とも言った)を起こした豊臣秀吉の本拠地であった大阪城を、主要20カ国・地域(G20)首脳会議の時に記念写真を撮る背景として検討しているという日本のマスコミ報道が出た。

 朝日新聞は23日、匿名の韓日外交関係者の話を引用してこのように報道し、「韓国の反発が予想され、撮影場所が調整される可能性もある」と伝えた。大阪城を背景に記念写真を撮るならば、壬辰倭乱で大きな苦痛を受けた被害国の首脳である文在寅(ムン・ジェイン)大統領は撮影に応じ難いと見られる。

 大阪城は、1583年から1589年の間に秀吉が築造した城が原形だ。秀吉はここを本拠地として日本を統一したが、城が完工した3年後の1592年に壬辰倭乱を起こした。秀吉の死後、息子の秀頼がここで日本を統治したが、江戸幕府(1603~1867年)を開いた徳川家康によって1615年に落城し燃やされた。秀頼は自害し、豊臣一族は滅亡した。

 江戸幕府はその後1620年代に城を再建した。しかし、1868年に薩摩藩と長州藩を中心とする新政府軍と旧幕府を支持する勢力が戦った戊辰戦争の渦中に再び焼けた。現在の大阪城は、1931年に鉄筋コンクリートで復元したものが骨格であり、その後も繰り返し復元事業を経た。そのため、現在の城の中にはエレベーターも設置されている。

 朝日新聞は、韓日間の過去の出来事によって以前にも首脳会談の場所が問題になったことがあると伝えた。2004年12月、故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と小泉純一郎首相の首脳会談が、鹿児島の指宿市で開かれた。鹿児島は「征韓論」(明治維新以後、日本で登場した朝鮮侵略論)を主張した西郷隆盛の故郷で、会談場所の近隣に太平洋戦争当時「神風特攻隊」に関連する博物館「知覧特攻平和会館」がある。会談は開かれたが、日本政府が推進した地域名物の“砂風呂”体験は実現しなかった。盧大統領が浴衣を着ることに難色を示したためだ。

東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:5/24(金) 7:23
ハンギョレ新聞

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事