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<現地報告>アフリカ最後の植民地・西サハラを行く(2) モロッコ侵攻に始まった西サハラ問題 岩崎有一

5/25(土) 6:10配信

アジアプレス・ネットワーク

そもそも、西サハラ問題はどのようにしてはじまり、どんな経緯を経て今日にいたっているのか。なぜ、アフリカ大陸のなかで唯一、地図上では空白のままなのか。西サハラの歴史をふりかえっておきたい。

[関連写真を見る] “アフリカ最後の植民地” 西サハラから

◆遊牧の民、サハラーウィ

西サハラとされる地域に暮らしてきた人々は、「サハラーウィ」と呼ばれている。
サハラーウィは、アフリカ北部に広く暮らすベルベル人と、11世紀ころにイエメンから移動してきたアラブ人のベニー・ハサーン族、サハラ砂漠以南のサブサハラ系アフリカ人とが混ざり合って構成される人々だ。現在でも、西サハラを訪ねれば、様々な顔立ちをもったサハラーウィがいることがわかる。

アフリカ諸国の他地域と同様に、古来、地図上の明確な「境目」があったわけではない。今も、モロッコでは同国南部のゲルミン付近まではサハラーウィが多く暮らしている。また、モーリタニア北部やマリ北部にも、サハラーウィは見られる。「西サハラは、文化的な国境線という意味においては、現在の地図上で示された地域よりもひとまわり大きいのです。」

アルジェリアに暮らすサハラーウィのハマフは、地図を指し示しながら、こう話していた。アフリカ大陸の国境線では、人と文化は緩やかにグラデーションしながら変化していく。

◆スペインの侵略と、ポリサリオ戦線の結成

19世紀に入りアフリカ大陸は次々と植民地化されていったが、西サハラも例外ではなかった。この地域には、スペインが侵略。1884年、アフリカ大陸分割を決定づけたベルリン会議により、西サハラは「スペイン領サハラ」となった。今も、西サハラにはスペイン語の話者が多い。

アフリカの年と呼ばれる1960年以降、アフリカ諸国はいっせいに独立を始めたが、スペインは依然、西サハラの領有を続けていた。1973年、サハラーウィのエル・ワリ青年が中心となってポリサリオ戦線を結成し、民族自決と独立を求めて武装解放闘争を開始する。

国連は1975年5月に調査団を西サハラに派遣し、ポリサリオ戦線を、この地域の住民代表として認めた。また同年10月、国際司法裁判所は西サハラの帰属について、民族自決権の行使を勧告している。
ここで、スペイン領サハラがサハラーウィに返され、独立国家誕生にいたればよかったのだが、現実は、そうはならなかった。

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最終更新:5/25(土) 6:10
アジアプレス・ネットワーク

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