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<現地報告>アフリカ最後の植民地・西サハラを行く(2) モロッコ侵攻に始まった西サハラ問題 岩崎有一

5/25(土) 6:10配信

アジアプレス・ネットワーク

◆占領地と解放地 ふたつの西サハラ

停戦後、「砂の壁」によってふたつに隔てられた西サハラでは、並行して異なる歩みが進められた。
モロッコ占領地には全モロッコ軍の約半数が展開し、砂の壁を堅持してきた。占領地内では、西サハラ独立に繋がる一切の運動は禁止・弾圧され、国外から報道関係者の滞在が許されることは、まずない。また、モロッコ国内から西サハラへの植民が進められ、多くのモロッコ人が西サハラ各都市へと移り住んだ。
いっぽうのRASD解放区では、アルジェリアの支援のもと、西サハラ難民キャンプでサハラーウィが国家同様のコミュニティを形成し、西サハラ独立に向けた運動を継続。ポリサリオ戦線も存続している。停戦後、砂の壁を挟んだ両者の間に戦闘は発生していない。

夕暮れのひとときを楽しむ人々で賑わう広場(ブージドゥール・西サハラ/Boujdour, Western Sahara 2018 撮影:岩崎有一)

独立を遂げた他のアフリカ諸国は、西サハラをどうとらえてきたのか。
1984年、アフリカ連合(AU)の前身となるアフリカ統一機構(OAU)は、RASDのOAU加盟を承認。これに反発したモロッコは、OAUを脱退した。アフリカの民族自決を是としてRASD支援を続けるアルジェリアをはじめ、モロッコを除く多くのアフリカ諸国には、RASDを承認してきた歴史がある。
2002年、OAUからAUが発足。AU発足時の加盟国は、モロッコを除く全アフリカ諸国53カ国だった。RASDもAU発足当初から加盟している。そして2017年、モロッコがAUに加わることで初めて、アフリカ大陸の全国家が加盟する地域共同体となった。

スペインが脱植民地化の道筋を立てることを放棄して「スペイン領サハラ」から撤退し、モロッコが民衆運動を装った軍事侵攻により占拠した結果、西サハラ問題が生まれた。国連も、外交では連帯を尊ぶことの多いアフリカ諸国も、モロッコの西サハラ領有を認めてはいない。
西サハラは、アフリカに残った最後の植民地だ。皮肉にも、アフリカの国が、アフリカ最後の植民地を支配したまま、現在にいたっている。

筆者注:
地名や固有名詞のカタカナ表記は、できる限りアラブ語表記に準ずるように統一しました。
また、サハラ・アラブ民主共和国の略称は、言語によって異なります。本連載では、サハラーウィが使う呼称にならい、RASDとしました。
 スペイン語 RASD/ Republica Arabe Saharaui Democratica
 英語 SADR/ Sahrawi Arab Democratic Republic
 フランス語 RASD/ Republique Arabe Sahraouie Democratique

岩崎有一

ジャーナリスト。1995年以来、アフリカ27カ国を取材。アフリカの人々の日常と声を、社会・政治的背景とともに伝えている。近年のテーマは「マリ北部紛争と北西アフリカへの影響」「南アが向き合う多様性」「マラウイの食糧事情」「西サハラ問題」など。アジアプレス所属。武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。
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最終更新:5/25(土) 6:10
アジアプレス・ネットワーク

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