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日本政府が派遣した輸送船がイラクのミサイル攻撃に晒されていた「葬られた危機~イラク日報問題の原点~」

5/25(土) 18:03配信

AbemaTIMES

メ~テレ(名古屋テレビ放送)制作『葬られた危機~イラク日報問題の原点~』(平成30年日本民間放送連盟賞テレビ部門準グランプリ受賞作(1時間版))より



 昨年4月、それまで「ない」とされていた自衛隊のイラクでの日報が公表され、派遣地域で戦闘が拡大しているなど、それまで明らかにされていなかった実態が浮き彫りになった。「自衛隊が活動するところが非戦闘地域だ」。当時の小泉総理はそう説明したが、行ってみれば、そこは戦場だったのだ。

 そんな危機を体験したのは、自衛隊だけではない。29年前、湾岸戦争を前に日本政府が派遣した輸送船が、イラクのミサイル攻撃に晒されていたのだ。しかしその事実は、イラクの日報と同様、国民の目の届かぬ場所に葬られていた。

 1990年8月、イラクがクウェートに侵攻。それから10日あまりが過ぎたころ、当時の海部俊樹総理の元に、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領から「助けてくれ」との電話が掛かってきたという。外務省を軸に対応の検討に入った政府。しかし、外務省の北米局長だった松浦晃一郎さんによると、当時の日本の法制度では、海上自衛隊を後方支援に出してほしいというアメリカの要求に答えることはできなかった。

 そこで政府は、民間の輸送船「きいすぷれんだあ」を“中東貢献船“として派遣することを決定した。船長は橋本進さん、現在85歳。11歳で太平洋戦争の終戦を迎えた橋本さんは、憲法9条には一方ならぬ思いがあった。

 海外航路の船長として生きてきた橋本さんに中東貢献船の話が舞い込んだのは、ニュージーランドから木材を運搬した直後のことだった。「後方支援で武器弾薬を積まなければ憲法に違反することもないし、この程度なら対応しなければいけないかなと感じた。もちろん生活もあるし、もしここで断ったら後どうなるかというのもあった」と、悩んだ末に引き受けることを決心した。

 国会ではこの中東貢献船の派遣を巡って議論が行われていた。造船会社の労組出身だった草川昭三・衆院議員が積み荷の内容などについて質問、松浦さんは「武器、弾薬、兵員は輸送の対象としないこと」「協力相手国の指揮命令下に入らないこと」「乗組員の安全のため、安全航行に関して緊密に協議すること」などについて、日米間での了解があると答弁。橋本さんの妻の恒子さんも、「行くのは心配だった。反対まではいかなかったね。国会でそういうことを決めて武器弾薬は積まない、危険なところに行かないということを頼りにオッケーしたんだね」と振り返った。

 そして1990年10月12日、橋本船長以下、21人の日本人船員が乗り込む「きいすぷれんだあ」が東京湾を出港した。船員の一人で、3等航海士だった高山浩志さんは、大きい船に乗りたいという希望が叶い、喜んだと回想した。

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最終更新:5/27(月) 15:22
AbemaTIMES

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