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日本政府が派遣した輸送船がイラクのミサイル攻撃に晒されていた「葬られた危機~イラク日報問題の原点~」

5/25(土) 18:03配信

AbemaTIMES

 そして1990年10月12日、橋本船長以下、21人の日本人船員が乗り込む「きいすぷれんだあ」が東京湾を出港した。船員の一人で、3等航海士だった高山浩志さんは、大きい船に乗りたいという希望が叶い、喜んだと回想した。

 まず「きいすぷれんだあ」が向かったのはニューヨーク近郊の軍港だった。何を積むかでアメリカ軍と船側で意見が割れ、橋本さんたちは「憲法に従った貨物しか積めない」と主張。軍用トレーラーの荷台を積むことになった。

 翌年1月8日、地中海からスエズ運河を抜けてオマーン沖に到着、しばらく待機することになった。そして9日後、湾岸戦争が勃発する。イラク軍はアメリカに協力する周辺国にスカッドミサイルを次々に打ち込んだ。

 この時のことについて、恒子さんは「開戦と新聞に出たときは本当にあーどうしようと思った」、高山さんは「自分にもしものことがあったらということで家族に電話した。札幌のお袋はワンワン泣いていた」。

 日本政府は東経52度線から西を危険海域とし、タンカーなどを含む船の航行を自粛するよう求めた。しかし、アメリカ軍が求めた行先は、危険海域の中にある、サウジアラビア東部のダンマンだった。

 停泊中の「きいすぷれんだあ」にはアメリカ軍の将校が度々乗り込み、指示をした。そして、ダンマンへ行くことを認めた日本の公文書は、外務省北米局長だった松浦晃一郎さん、運輸省海上技術安全局長だった戸田邦司さんの決裁を受けていた。松浦さんは「外務省の担当者課長から運輸省と海員組合と話をして、おそらくアメリカとも話したのでしょう、安全だということで」、戸田さんも「いちいちそれで船を止めたり、行き先を変えたりしたら、また面倒な話になる」と証言する。

 21日、「きいすぷれんだあ」は東経52度線を越えダンマンに向かう。この頃、イラク軍のミサイルには化学兵器が使われているという情報が流れており、船員にはガスマスクが配られた。

 翌日の午後、ダンマンに入港。そのとき、「きいすぷれんだあ」の上空にイラクのミサイルが飛んできた。「パッと見ているときに、雲の向こうからオレンジ色の光が見えた」(高山さん)、「パトリオットが迎え撃って、命中して、頭上でドーンとバーンと落ちた」(橋本さん)。

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最終更新:5/27(月) 15:22
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