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病気を機に向き合った 井上陽水の歌詞を英訳 ロバート キャンベル

5/26(日) 16:40配信

カナロコ by 神奈川新聞

 親交がある井上陽水の歌詞と向き合ったのは、心臓を患い死を覚悟した病床だった。

 「あとどのくらいの時間が残されているのか」。運動制限もあり、一切の仕事を止めた2011年の夏。「1日1曲。写経のようにやっていこう」と詞の世界に沈んだ。

【写真】井上陽水さんと話すロバート キャンベルさん

 「青い闇の警告」から始めた言葉との格闘。英語に置き換えていくことは、内省することでもあり「浄化されていくことを感じた」。

 病室から眼下に広がる東京の街を眺めながら、「夢の中へ」「積み荷のない船」などを翻訳。50曲を書籍「井上陽水英訳詞集」(講談社)にまとめ、14日に刊行した。

 日本語ではあいまいなままで通用しても、英語に変換する際には時制や話法などを確定しなければならない。退院後しばらくしてから、井上と問答を重ね、その歌詞に肉薄した。

 「ロバートさんの感覚でいいんじゃない」。肩透かしを食らうこともあったが、仮題を「I’ve got no umbrella」とした「傘がない」では唯一、「傘はオレのものではなく、全ての人の傘なのだ」と指摘された。

 傘がない故に、さらされる雨とは何か。雨にぬれる危険を冒してまで求めるものへと進む曲の主人公自身も、「それは いい事だろ?」と自問自答している。

 「向かう先を断定していないけれど、それを金や権力とするならば、それを目指すことは、『人間として生まれたらこうなるものなのか?』と陽水さんの根源的な問い掛けに直結すると感じた」

 日本という土壌の中で、はい上がってきた井上の言葉の根っこが何とつながっているのか。「地層深くにあるものを理解できたら、読み手の養分になる」と薄い膜を剝がし、裏側にある世界を浮かび上がらせた。

 昨年、活動50年を越えた井上。聴き手の日常に染み込んだ曲は、それぞれが思いを重ねるが、自分にとってどんな曲であるか分かっている曲こそ、時代とともに捉え方が変化していることに気付かない。「垣根の向こうにある英語で書かれた世界に出掛けていくことによって、固まっていた組織に割れ目が入って、日本語に戻ってきたときに活性化するはず」と期待する。「英訳したことで、日本語の意味をより深く理解できた。本がこうじ菌になって、それぞれが美しい透明な、お酒を造ってほしい」

◆ロバート キャンベル 
 1957年、ニューヨーク市生まれ。日本文学研究者。国文学研究資料館館長。江戸後期から明治前期の漢文学を研究。文芸のジャンルを超え、テレビのニュース・コメンテーターなども務める。芥川賞作家の平野啓一郎ら文学者らが集う「飯田橋文学会」のメンバーで、本紙日曜版のリレー連載「日本文学 あの名場面」では、「東京の中で特別な空間」と話す銀座を中心に、新橋周辺が舞台の作品を取り上げている。

 「井上陽水英訳詞集」には、2017年にTOKYO FMなど全国38局で放送された井上との対談番組「言の葉の海に漕(こ)ぎ出して」のエピソードも含まれている。番組は「第13回日本放送文化大賞ラジオ部門」でグランプリを獲得した。

◆記者の一言
 キャンベルさんの取材前、東京で行われた陽水さんのライブに足を運んだ。「50年前、福岡から上京したときは一人だったけど、いまは孫までいる。光陰矢のごとし」と陽水さん。ふわり揺れながら「少年時代」を歌う姿は、日中に見かけた舞い落ちる八重桜の花びらに似て、松任谷由実さんが形容した「つかみにくい、ウナギのよう」にも見えた。一方のキャンベルさんも、情報番組で真剣に語りつつ、アイドルとも親しく交流する自身を「誰も言ってくれないから言うけど、僕もウナギ」と評する。どちらも最上のウナギだと感じた。

神奈川新聞社

最終更新:5/27(月) 17:30
カナロコ by 神奈川新聞

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