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ニキ・ラウダがいなかったら、僕のタイトルは1度限りだったかも……ハミルトン、”恩人”ラウダへの想いを語る

5/27(月) 17:17配信

motorsport.com 日本版

 メルセデスのルイス・ハミルトンが、5月20日に亡くなったニキ・ラウダについて初めて語った。曰く、ラウダがいなければ、自身が複数回のワールドタイトルを獲得するのは難しかっただろうという。

【写真】ラウダのヘルメットを被ったハミルトンをベッテルが健闘を称え合う

 ラウダはメルセデスのノン・エグゼクティブ・チェアマンとして、2012年に初めてハミルトンと関わりを持った。ハミルトンは当時、優勝を争う常連のひとつであったマクラーレンのドライバーだった。一方のメルセデスは、上位争いに手が届き始めたばかりという存在だった。

 結局ハミルトンは2013年からメルセデスに加入。1年目こそ1勝に終わったが、2014年以降は圧倒的な強さを見せ、4度ワールドチャンピオンに輝いている。対するマクラーレンは、ハミルトンが抜けた後は1勝も挙げることができていない。

「もし電話がかかってこなかったら、僕のタイトルは1度限りで、勝利数もマクラーレンで勝った時のまま(21勝)だっただろう」

 そうハミルトンは語った。

「僕は今では、5回もチャンピオンを獲得している。大いに彼のおかげだと感じているんだ」

 ラウダが亡くなった直後だったということもあり、ハミルトンは当初出席が予定されていたFIAの水曜日合同記者会見への出席を免除された。またチーム代表のトト・ウルフも、水曜日のメディア向け会見スケジュールを変更した。

「先日は本当に……(話すための)準備ができているとは思わなかったんだ」

 そうハミルトンは説明した。

「トトも同じような状態だったと思う。そしておそらくバルテリもね(※ボッタスはハミルトンの代役として、水曜会見に出席した)」

「僕とトトは、今週何度も話をした。そしてブリジット(ラウダの妻)ともね。この8ヵ月の間、ニキとは本当にたくさん連絡を取っていたんだ」

「僕らは互いにビデオメッセージを送りあっていた。だから受け入れるのは難しかった。なぜならある日には、彼はとても体調が良さそうだったし、本当に元気そうだった。そして、『私は戻ってくる。強くなって戻ってくるよ。このレースに私はいるだろう』と言っていたんだ」

「その後、間を置かずに、すごく痩せてしまったように思えた日もあった。遠くから見ても大変そうだった」

 ラウダが亡くなったという知らせを聞いた後の時間は、厳しいものだったという。

「今週初めは、本当に、本当に厳しかった」

 そうハミルトンは語った。

「水曜日にここ(モナコ)に来た時は、まだそれ(ラウダについて語ること)をする時だとは思わなかった。僕らはみんな彼のことが大好きだったし、彼を恋しく思っている。誰かが亡くなってしまった時、もう2度と会えないし、話すこともできないということを想像するのは、難しいことだ。でも、僕は彼との素晴らしい思い出を持っている。彼は僕ら全員の思い出の中で、生き続けていくだろう」

 ハミルトンはモナコGPの予選Q3で渾身のアタックを決め、チームメイトのボッタスからポールポジションを奪った。ハミルトンは、ポールポジションを手にしたことを知ると無線で感情を爆発させ、マシンを停めると観客席のフェンスによじ登り、ファンと喜びを分かち合った。

「ああいった周回をまとめたこと、そのパフォーマンスに対する彼の満足感だったのだろう。この日のバルテリは、ルイスにとって本当に力強い競争相手だった。それから、ニキに関する感情……そういう全てが溢れ出たように見える」

 そうウルフ代表が語った。

「彼にとっては難しいセッションだった。最後にそういうのを見るのは、いつでも印象的だ。最初のアタックラップで彼は、タイヤを適切な作動温度領域に入れることができなかった。そのことは、バルテリに味方したんだ」

「でもその最後の1周は、彼はただ全てをまとめ上げ、ミスも犯さず、マシンをポールポジションに導いた。それを見るのは、とても印象的だった」

Scott Mitchell

最終更新:5/27(月) 17:17
motorsport.com 日本版

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