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右目故障で事実上引退、復帰はない 蝶野正洋の平成プロレス史

5/27(月) 10:00配信

デイリースポーツ

 平成が終わり、令和の時代が始まった。平成とともにプロレス人生を歩んできたプロレスラー、蝶野正洋が新時代を迎え、平成のプロレスを振り返った。最終回となる今回、令和を迎えた蝶野正洋の現在も語りつくす。

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 平成から令和に変わり、この連載も最終回を迎えた。今回は新日本プロレスの身売りから自分の今までを一気に話そう。

 新日本は04年6月に藤波辰爾さんから草間政一さん、05年5月にはサイモン猪木さんへと社長が交代し、05年11月には実質的オーナーだったアントニオ猪木さんの全保有株を買い取ったゲーム会社ユークスの子会社となった。

 そこから自分は次第に最前線からフェードアウトしていく。猪木さんが新日本から身を引いたことで、張り合いがなくなってしまったんだ。猪木さんは新日本の創業者、自分はそこに入った人間で、ある意味、親分子分。創業者が会社をつぶしてもしょうがない、10億円持ってこいと言われたら持ってくるしかない、というぐらいに思っていた。

 新しいオーナーがどれだけ会社のことを考えているといっても、プロレスの現場を知らない人間には求心力はない。神輿を担ぐのと同じで、その中には神がいる。神はプロレスラーでないといけない。張り合いがなくなったのは、そういう古い考えで新日本と関わってきたからだろう。今のように成果にしっかり対価がもらえる関わり方だったら、そんなこだわりもなかったかもしれない。そして、10年1月には新日本を退団した。前年の10月には自分の25周年興行を成功させたのだが、その時の会社が対応が素っ気なかったのもあって、契約を更新しなかったんだ。

 その後は全日本プロレスに参戦したり、橋本真也選手の長男、大地選手のデビュー戦で相手を務めたりしたが、14年4月を最後に試合をしていない。05年のG1クライマックス優勝決定戦で藤田和之選手と戦った時に右目が斜視になり、それが限界になったことが一番の理由だ。3本のロープが6本とか、物が二重に見えてしまい、怖くてもう試合はできないと思ったんだ。休業と言っているが、事実上の引退。復帰はない。

 そして今、自分はNWHスポーツ救命協会代表理事、日本消防協会消防応援団、日本AED財団AED大使などの社会貢献活動をしている。50代になって、社会にはいろいろな活動をしている人がたくさんいることを知った。そういう人を応援することが、自分の応援にもなっているんだ。

 以上が蝶野正洋の平成プロレス史。ご愛読ありがとうございました。(プロレスラー)

最終更新:5/27(月) 10:25
デイリースポーツ

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