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「東急8000系」誕生から50年 通勤電車の“いま”を築いた、道具に徹する潔さ

6/7(金) 8:00配信

ITmedia ビジネスオンライン

 鉄道車両の保存や展示車両の解体などがしばしば話題になる。その一方で、性能優秀で実績があっても保存や展示が行われず、ひっそりと消えていく車両もたくさんある。東京急行電鉄が1969年に導入した8000系電車もその一つだ。画期的な技術をいくつも搭載し、後の日本の通勤電車に大きな影響を与えた。しかし東急電鉄からは全車引退。現在は一部の車両が伊豆急行とインドネシアのジャカルタで活躍中である。

【画像】「歌舞伎塗装」された、晩年の東急8000系

 2019年11月、東急8000系は誕生から50周年を迎える。しかし、この節目をきっかけに8000系の功績を振り返ろうという動きがない。寂しいけれど、それが電車という道具の宿命かもしれない。道具として生まれ、道具として消えていく。そんな潔さも8000系らしい。せめてここに、東急電鉄8000系の功績を書き残しておきたい。

面白くない外観になったワケ

 東急8000系はオールステンレス製の車体が特徴の通勤電車だ。1969年に登場し、改良版の8500系、8590系なども含めて、製造総数は677両に及んだ。少し早く誕生した東武鉄道8000系の712両には及ばないものの、大手私鉄の同一形式としてまれに見る大所帯となった。東急電鉄としては初めての20メートル級大型車でもある。20メートル級大型車とは、車体の全長が20メートル前後という意味だ。東急電鉄に限らず、大都市の通勤電車は20メートル級大型車が多い。

 それまで東急電鉄は車体長18メートル級の中型電車を主力としていた。東急8000系が20メートル級車体になった理由は、68年に東京11号線が計画されたからだ。東急新玉川線と営団地下鉄半蔵門線にあたる路線となる。地下鉄銀座線の混雑緩和を目的とした新路線という位置付けで、当初から大型車両の運行を前提として計画された。東急電鉄にとって大型車を導入するいい機会だったといえる。新玉川線は現在の田園都市線の二子玉川~渋谷間、営団地下鉄は現在の東京メトロである。

 東急8000系は、高度成長に伴う大量通勤需要を背景に、次世代大型通勤車両のホープとして誕生した。しかし、その外観は趣味的には面白みに欠ける。平板を組み立てただけの真四角な車体で、飾り気がなかった。側面の波板は飾りではなく、車体の強度を上げるためだ。トタン屋根の波板や段ボールの構造と同じ理屈である。

 東急電鉄が外観デザインに力を置いていないから、というワケではないだろう。渋谷駅前に安置されている鋼鉄製車体の5000系は丸みを帯びた車体で、先頭は流線型に近い大型2枚窓。「アオガエル」の愛称で親しまれた。ステンレス車体の7200系は「ダイヤモンドカット」と呼ばれる洗練された姿だった。

 東急8000系に特徴的な意匠がない理由は低コストにするためだったという。来たる大量輸送時代を見越して、8000系も大量に製造する見込みだった。東京11号線だけではなく、直通する田園都市線や東横線も大型車両を導入する計画がある。複雑な形状は製造工数を増やす。外観の維持も手間がかかる。余分なコストはかけられない。

 先頭車の顔に当たる部分の中央に扉が設置されている。これは地下鉄乗り入れを前提とした非常口の役割がある。扉の位置が真ん中にあるため、先頭車を編成の中間に連結した場合は通路にもなる仕組みだ。平面でピッタリつけて連結すれば乗客用のスペースが稼げる。先頭車が流線型だと、中間に連結した場合はデッドスペースとなる。多くの人を、安全に、早く運ぶ。道具として徹する設計思想だ。

 8000系は面白みのない姿だけれども、完璧な道具であった。もっとも、それも今となっては、という話で、当時はオールステンレス車体、未塗装で銀色の大型電車というだけで、非凡であり存在感があった。

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最終更新:6/7(金) 8:00
ITmedia ビジネスオンライン

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