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「東急8000系」誕生から50年 通勤電車の“いま”を築いた、道具に徹する潔さ

6/7(金) 8:00配信

ITmedia ビジネスオンライン

8500系が登場、東急の主力車両へ

 外観は平凡、中身は先進。そんな8000系は1969年に登場した。しかし、その用途となる二子玉川~渋谷間の地下路線の開業は8年後の77年だ。8000系は8年間も本来の役目を与えられず、まずは東横線に導入された。72年までに5両編成21本、73年から田園都市線向けに4両編成5本が導入され、東横線は中間車を追加して6両編成化が進められた。東横線、田園都市線とも、現在は10両編成である。しかし当時は5両編成、4両編成で足りた。その後、プラットホームの延伸と合わせて、少しずつ長編成化されていく。

 74年に8000系のバージョンアップ仕様として8500系が登場する。8000系は新玉川線向けに製造され、当初の想定は6両編成で4両が電動車、2両はモーターなしの運転台付き車だった。しかし、半蔵門線内の急曲線・急勾配区間で故障車を連結して走るために、さらなる性能が求められた。しかも中間車に誘導無線装置を取り付ける必要から、中間車1両は障害を避けるためモーターなしとする必要があった。そこで、運転台付きのモーター搭載車を導入することにして、6両編成で5両が電動車、1両をモーターなしの中間車とした。

 結果として初期の8000系は田園都市線と東横線の大型化を推進する役目で終わり、8500系が東急電鉄の主力車両となる。8000系ファミリー677両のうち、8500系は400両が製造されて、最大派閥となった。80年にはモデルチェンジ版の8090系が登場する。8090系は車体設計に航空機と同じコンピュータ解析を採用し、ステンレス素材の使用量を大幅に減らした。日本初の軽量ステンレス車体を採用した電車である。8000系の先取りの伝統を継承したともいえる。

 初期の8000系は、8500系車両の中間車に組み込まれるなど、存在感が薄くなった。しかし、8500系の増備によって再び8000系編成が復活。東横線の東京メトロ非直通運用、大井町線のローカル運用で活躍した。鉄道車両の宿命として、新型車両の導入によるローカル線への転属と、押し出される形での廃車が進み、2008年に全車が引退した。東横線では08年1月13日にさよなら運転が行われ、記念ヘッドマークの取り付け、車内への記念ポスター展示、特急運用によって花道を飾った。大井町線用に残った1編成も1カ月後に引退した。

 その後、8000系のうち45両は伊豆急行に譲渡された。2両編成と4両編成があり、2両編成は中間電動車に運転台が取り付けられ、海側の座席にはクロスシートが設置されるなど改造されている。外観は8000系のまま、伊豆急行のシンボルともいえる青と水色の帯が入った。8両編成2本はインドネシアに送られ、首都ジャカルタ近郊の通勤電車として余生を送る。

 鉄道車両は「運搬具」である。大ざっぱなカテゴリーでいえば、ハサミや桶などの道具だ。必要があるから作られ、用が済めば廃棄される。外観や性能に秀でて、用途以上に関心を集める道具もある。そんな道具は保存展示される場合がある。道具本来の役割は終わり、技術の参考となったり、見るものを楽しませたりという役割に変わる。

 しかし、保存される鉄道車両は少数派だ。ほとんどの鉄道車両は用が済めば廃棄される。道具としては当然の宿命だ。8000系はよくできた道具であり、道具に徹した。さよなら運転で花道を飾られただけ幸せだったかもしれない。

 50年前に画期的な電車が誕生し、現在の通勤電車の先達として活躍した。それだけは覚えておきたい。そして今も伊豆やインドネシアで道具として任務を全うしている。誕生50年の節目に、なにか祝い事があったらいいな、とも思う。

(杉山淳一)

ITmedia ビジネスオンライン

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最終更新:6/7(金) 8:00
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